語り手の男ベント・サンチアーゴが亡妻カピトゥと親友エスコバールの不義を確信して、ついには妻子ともどもスイスに追いやるまでの経緯を綴った、恋と疑惑の物語。ブラジルの文豪の『ブラス・クーバスの死後の回想』』(武田訳 光文社古典新訳文庫 2012年)とならぶ代表作の初訳。
まだ奴隷制が続いていたブラジルで支配階級に生まれたサンチアーゴが身分の違う褐色肌のカピトゥと結婚したものの、サンチアーゴは家長としての能力がないことの裏返しで横暴にふるまい、妻へも嫉妬と疑念を懐き、親友との関係を疑うのだが、はたして妻は姦通をはたらいたのか、それとも語り手の嫉妬と妄想からくる冤罪なのか、偏屈卿(ドン・カズムッホ)と呼ばれたサンチアーゴの自伝の形をとり物語が展開する。カピトゥは不義をはたらいていたのか、サンチアーゴは無実の妻を追い出した卑怯者なのか?は長く読者・研究者の間で論争が繰り広げられてきたが、彼女が無罪か有罪かがこの小説の問題ではなく、そのどちらにも解釈出来る両義性こそが、この作品の画期的な文学的技法の面白さであると評価されているが、訳者は解説でその謎を解く鍵はサンチアーゴの「記憶」にあると指摘している。
訳者による『千鳥足の弁証法 −マシャード文学から読み解くブラジル世界』 https://latin-america.jp/archives/5933 と合わせ読むと、一層マシャード文学の世界の理解が深まる。
(武田千香訳 光文社(古典新訳文庫) 2014年2月 556頁 1,400円+税)