連載エッセイ450:小林志郎「パナマ運河は誰のもの?」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ450:小林志郎「パナマ運河は誰のもの?」


連載エッセイ450

パナマ運河は誰のもの?

執筆者:小林志郎(パナマ運河研究家)

パナマ運河へのトランプ大統領の言いがかり

1月20日のトランプ米大統領の就任演説には、常識を覆す問題発言が多出した。ここでは、パナマ運河に対するいくつかの問題発言を取り上げ、発言の背景にある真の狙いを割り出してみたい。
大統領スピーチの後半では次のように述べた。「・・マッキンリー大統領は関税と自身の才能によって我が国を非常に豊かにした。セオドア・ルーズベルトにパナマ運河を含む多くの偉大な事業の資金を与えた。・・パナマ運河は米国からパナマに軽率に引き渡された。・・私たちは決してすべきでなかったこの愚かな選択によって非常に悪い扱いを受けてきた。パナマの我々への約束は破られた。・・米海軍を含め、米国の船は過大な料金を科され、いかなる形においても公平に扱われていない。何よりも、中国がパナマ運河を運営している。我々はパナマ運河を中国に渡してはいない、パナマに渡したのだ。そして今、取り戻すのだ」と。

中国がパナマ運河を経営?

まさかとは思うが、「中国がパナマ運河を運営している」と言うのだ。トランプ流“ディール”のためのブラフかも知れないが、余りにもひどい。これほど現実を無視してしまったら発言全体がウソっぽくなってしまう。
パナマ運河の経営内容は、「パナマ運河庁」が毎年発行する「年報」を見れば一目瞭然だ。運河経営がパナマに全面移管された2000年以降、パナマ政府の一機関になった「パナマ運河庁」(The Authority of the Panama Canal)の全経営陣(理事会11名、事務局役員12名)の顔写真が掲載されている。運河大臣をトップとする理事会メンバーは、パナマ大統領とパナマ国会が任命する。事務局役員は、全て運河庁職員(約8千名)からの生え抜きで、これまで中国人が登場したことはない。また、運河経営に関する財務諸表類は、世界的権威の監査法人が監査したものが公開されている。実に単純な事実であり、米国務省経由で在パ米大使館に問い合わせればすぐに判明する話だ。
トランプ流の「無知を装った攻撃」を受け、パナマ側も初めは寝耳に水で一見狼狽した感じだったが、パナマ大統領は、すぐに今回の言いがかりは「全て虚偽、ウソ」だと反論した。

マルコ・ルビオ新国務長官、謎の発言

トランプ大統領の就任式の2週間後、新任の国務長官マルコ・ルビオ氏(キューバ系移民2世)は、初の公式訪問先としてパナマと中米諸国を訪れた。パナマでの長官の発言も耳を疑うものだった。いわく運河両端にある5つのコンテナ港のうち、2つが、香港資本(ハチソン・グループ)によって経営されている。中国政府の指令を受け運河を支配する危険性があると言うのだ。これも実に噴飯物だ。パナマ政府と長期契約を結ぶコンテナヤードを経営する民間企業が、何のために、どうやって、運河を支配すると言うのだろうか? 確かにコンテナヤードは運河水路のすぐ脇に平行して建設されている。そこに船の1隻でも沈めれば、運河航行は遮られてしまう。
しかし、今や、中国はかつての日本に代わりアメリカに次ぐ第二の運河利用国になっている。運河が通航不能になれば、第二の被害国は、中国だ。何のメリットがあるというのだろうか? トランプ政権は一体何を狙っているのか?

(パナマ運河の脆弱性)

現在でもパナマ運河は、米海軍の重要な水路である。第二次大戦中、日本帝国海軍はパナマ運河爆破計画を練り、実行の一歩手前までいったが終戦で実現しなかった。その目的はアメリカ軍艦の運河通航妨害であった。さらに、第二次大戦後の冷戦期には、敵性国家ソ連と社会主義国キューバがパナマ運河を攻撃し支配する可能性が真面目に検討された。さらに、パナマのトリホス将軍は、運河条約交渉がはかばかしく進捗しなくなると「それでは、パナマ運河を爆破するだけだ」とアメリカ側を脅かし続けている。その後釜のノリエガ将軍も同じ脅かしをかけ、ブッシュ政権の米軍侵攻の口実にもなった。パナマ運河は閘門式運河のため、1つの閘門(特にカリブ海側のガツン閘門)が破壊されれば、ガツン湖の貯水が失われ、1~2年は運河操業が不能に陥り、米海軍のオペレーションも失われるという脆弱性を持っている。

パナマ運河の移譲は愚かな選択だった?

トランプ大統領は「運河を軽率にパナマに引き渡した」ことは「愚かな選択だった」と述べ、「運河をとりもどすのだ」と主張している。
このくだりは、かつて1977年、アメリカのカーター米大統領(民主党)とパナマのトリホス将軍との間に調印され、米上院で7ヶ月近く議論された後、1票差で批准された「新運河条約」を巡るアメリカ国内の深刻な利害対立を表現している。
いずれにせよ、両国が締結した「新運河条約」により、1999年末日を以て運河の管理運営権はパナマに移譲され、同時に西半球(中南米)の安全保障を確保(実際は米国による力による中南米支配)していた「米南方軍」をパナマから撤収するという歴史的な決断がなされた。この条約調印に至るまでの道のりは、パナマにとっては、領土主権を取り戻し、国家的アイデンティティを確立していくため試練の過程でもあった。他方、当時のアメリカの外交政策の大転換を意味していた。少し歴史を振り返って見たい。

パナマ運河の建設でアメリカ帝国主義が確立

パナマ運河建設に着手しようとしていた1905年頃のアメリカは、ヨーロッパ列強に遅れて帝国主義国家建設への途上にあった。トランプ大統領の演説で言及する「マッキンリーの高関税政策」は、当時のヨーロッパ列強による工業製品輸出攻勢から国内産業を保護し、不況脱出のための対策であった。暗殺されたマッキンリーの後を継いだテオドア・ルーズベルト大統領(1901年9月~1909年3月)は、「こん棒政策」(弱小国支配)と「海洋強国政策」で知られていた。
運河建設に向けコロンビアとの交渉に行き詰まると、ルーズベルトは、その属州であったパナマをコロンビアから分離独立(1903年)させ、その裏で、新生パナマ国家の代理人と名乗るフランス人技師(レセップスのパナマ運河建設最後の技師長ビュノー・バリヤ)との間に「旧運河条約」(1977年の条約を“新”とするための名称)を締結してしまう。これによりパナマ運河建設地帯(両洋間の長さ80キロ、幅16キロ)を「永久に」アメリカの管轄地と設定した上で工事を開始(1905年)、第一次大戦が始まる1914年に完成させた。つまり、パナマは、国土の中央部分を南北に走る運河地帯を未来永劫、アメリカの治外法権地域として一方的に提供させられることになる。

「新運河条約」の交渉に向けた米・パの動き

第二次大戦後、米・ソの東西冷戦時代、スエズ運河国有化(1956年)、キューバ革命(1959年)、ベトナム戦争(1955~1975年)などを経て、 “南北間の力関係”に大きな変化が生じていた。かつての被植民地諸国が民族自決、主権意識の高まりで覚醒した。パナマでも領土主権奪還闘争が盛り上がりを見せた。これに対応し、アイゼンハワー米大統領は「正式にパナマ運河地帯のパナマ主権を認める声明」を出すに至った(1959年)。次のケネディ大統領は中南米諸国の貧困問題を解決し、キューバ革命の波を抑制するために「進歩のための同盟」(1961年)を打ち上げた。しかし、翌年のキューバ・ミサイル危機への対処の後、暗殺されてしまった。
1964年、パナマで発生した国旗掲揚を巡り米・パ学生間の流血を伴った「国旗事件」が発生した。この事件の処理を巡り両国の外交関係が断絶するという最悪の事態を迎えた。これに対処するため1965年、ジョンソン米大統領が、パナマ側と「新運河条約」の交渉方式を定めた共同声明を出した。しかし、実際に交渉が始まったのは、トリホス将軍が軍事クーデター(1968年)によりパナマでの国内統治権を掌握して以降のことになる。
トリホス将軍は、従来のパナマ上層階級が支配する国会を解散し、労働者・農民を中心に据え軍部が影で支配する議会「コレヒミエント」を創設し、「主要企業の国有化」、「労働法」等、左翼ナショナリスティックな政策を推進し大衆の支援を固めていた。他方、パナマの国内通貨が米ドルであること(運河建設前の1904年の両国間の通貨協定による)を活かした「銀行法」を制定し、パナマを国際金融センターとして活性化させ経済の国際化政策を推進した。教育面では、授業料無償のパナマ国立大学を創設するなど人材育成策も講じ、20年間に及ぶ軍部支配体制を築いていた。

6年に及ぶ運河条約交渉

パナマ側は、基本的には運河地帯に対する領土主権の奪還が最大の命題だった。運河という構築物はそのパナマ領土の上に建造されているので、領土の奪還は運河構築物の奪還と不可分という考えで臨んだ。技術的には、土地の所有権と構築物の所有・管理権を分けて処理する方法、つまり、土地使用料を支払うことで、構築物の管理運営権は維持する方式もあり得たが、パナマ側の土地と地上物件は一体としての返還要求となった。
1974年頃には、アメリカ側は、運河条約の中に、将来の運河代替案計画(海面式、閘門式)を織り込み、それらの建設期間を含め、条約の終了期限をさらに90年間延長させる案を提出し、パナマ側の反発を招いていた。その後、運河代替案計画でトリホスは、運河第二の利用国日本を“対米バランサー”として巻き込むことで米国の支配力をかわすことに成功していく。

(アメリカに対する心理的圧迫戦術)

6年間の交渉中、双方の利害関係は何回も膠着状態に陥った。トリホス将軍は、国連安全保障理事会をパナマで開催(1973年)し、パナマの領土主権を含む決議案を可決させることに成功した。また、ラテンアメリカ諸国の首脳会議を通じパナマ支援を取り付けた。非同盟諸国会議諸国との連携を図ること、東欧社会主義国ユーゴスラビアのチトー大統領、リビアのカダフィ大統領、キューバのカストロ大統領等とも会談を重ね、アメリカに対する心理的圧力効果を狙ったりもした。
しかし、肝心の条約交渉は共和党のニクソン政権(69年1月~74年8月)とフォード政権期(74年8月~77年1月)にはほぼ膠着状態に陥っていた。

カーター大統領の登場で急転直下、新運河条約調印

救いの手は、77年1月に民主党のジミー・カーター大統領が就任したことでもたらされた。カーター氏は「パナマ運河問題を最優先する」との公約で共和党と戦っていたこともあり、就任後、一気に条約交渉は進捗した。
1977年9月、ワシントンの米州機構(OAS)にて、トリホス将軍とカーター大統領との間で「新運河条約」が調印された。調印式には、パナマとの交渉に関わった民主党系の大統領や関係者(キッシンジャー元国務長官等)、多くのラテンアメリカ諸国首脳が参加した。全部で14カ条からなる「運河条約」(Panama Canal Treaty)とわずか8条からなる「永久中立条約」(Permanent Neutrality Treaty)がワンセットとして調印された。この条約への賛同国は36ヶ国に及び、米州機構に正式に登録された。

くせ者の「永久中立条約」、トランプの運河返還要求の根拠?

「運河条約」と並んで調印された「永久中立条約」は、アメリカ下院議会で提起され、さらに上院で補足された“追加的条約”であった。当時の国際情勢の中、キューバ、ソ連がパナマ運河を奪取する目的でパナマに干渉してくるかも知れないという危機意識が背景にあったともされる。
運河防衛については、「運河条約」の第4条「保護と防衛」の中で、「それぞれの国はその憲法上の手続きに従って、パナマ運河の保護と防衛を行うことを約束する」と定めている。つまり、アメリカの一方的判断で運河防衛ができるということだ。しかし、「運河条約」そのものが2000年で期限切れと定められていた。それ以降における軍事的行動の根拠はなくなる。ここで上院のデ・コンチニ議員(アリゾナ州、民主党)が修正条項を提起した。それは、パナマの国内問題、労働紛争、ストライキ、暴動などで「運河が閉鎖された場合、又はその操業が妨害された場合は、米国は運河再開、又は運河の操業再開に必要と思われる措置をとる権利を有する」とするものであった。
当然ながらトリホス将軍は、これは、パナマの内政干渉の色彩を色濃く反映したものであり、旧条約と同じ永続的条約になるとして猛反発した。
結局、米パ交渉の最終局面で、トリホス将軍と会談したカーター大統領は、この追加条約が受け入れられない限り、「新運河条約」が米議会で批准されることはないであろうと説得し、やむなくトリホスも受け入れることになったという曰く付きの「永久中立条約」だ。
現在、トランプ大統領による「中国が運河経営を行っている」というレトリックの背景には、この「中立条約」がありそうだ。つまり、敵国中国がパナマ運河を支配しているという妄想的な危険意識を描き出すことで、運河防衛のためにアメリカが一方的に干渉する権利がありうると言う“こじつけ”のロジックである。

(ノリエガ将軍討伐の米軍事侵攻)

振り返ると1989年末、世界の耳目がベルリンの壁の崩壊(11月)や、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊劇(12月)に集中していた。そのタイミングを見計らうように米ブッシュ政権は12月20日、パナマに軍事侵攻した。ノリエガ将軍が民主主義を弾圧していること、米軍人に対する拷問・殺害(1人)、麻薬取引等の理由だった。在パ駐留の南方軍と米国内6ヶ所の軍事基地から派遣された陸・海・空軍は、パナマ国防軍を数日間で壊滅させた。選挙で選ばれた大統領の就任式を米軍基地内で実現させた。新年早々、バチカン大使館に亡命していたノリエガ将軍が投降したので、マイアミ刑務所に護送してしまった。ブッシュ大統領はテレビで軍事侵攻の理由を説明した際、ノリエガ将軍が運河破壊を通告していたので、運河防衛の必要があったと申し訳程度に付け加えていた。この時の運河操業休止はわずか1日だった。84年間のパナマ運河操業で初めての休止であったとのこと。
この時の軍事作戦は、アメリカ本土からの出撃でパナマ運河防衛が可能であることが証明されたことでも重要であった。
トランプ政権の落とし所は「運河通航料金」の引き下げ?
トランプ大統領は、「・・米海軍を含め、米国の船は過大な料金を科され、いかなる形においても公平に扱われていない」とも述べている。確かに運河返還後の2000年以降、運河通航料金の引上げは、ほぼ2年おきになされ、2倍強に引上げられている。そうは言っても、「米国の船が不公平な料金を科されている」というのは根拠がない。料金引き上げに際しては、「運河庁」は粘り強い説明を尽くし、全ての利用者からの意見を一定期間聴取し、回答を試み、最終的にはパナマ政府と議会の承認を取り付け、情報公開がなされているからである。
アメリカが運河を経営していた頃は、操業コストをカバーするだけの料金設定で「国際公共財」として収益は無視していた。しかし、パナマ運河庁の経営目標には「運河収益の極大化」が取り入れられている。料金設定も貨物別に、例えば、バルク貨物に比べ自動車やコンテナは数倍も高く設定し、運河庁が料金を設定するために独自に設定している貨物量測定値(ユニバーサル・トン)も随時引上げてきた。利用者は料金改定の都度、強い不満を投げかけてきたことも事実だ。
トランプの今回の発言の「落とし所」の一つは、通航料金の値上げを牽制し、できれば米艦船は特別料金で優先的な取り扱いを呑ませたいのかも知れない。ルビオ長官がパナマを訪問した直後、国務省は一方的に「特別扱いでパナマと合意した」と発表した。即刻、パナマ大統領は「それはウソだ」とはねつけている。
運河利用国第1位のアメリカは、全通航量(過去10年間平均で2.5億トン)のほぼ74%を占めている。従って、アメリカの料金負担は、全通航料金収入23.6億ドル(同上)×74%=17.5億ドル程度になる。この金額が多いか少ないか。恐らく、パナマ運河庁は、「それでは、南米最南端のホーン岬を回るルートもありますよね」と強気の返答をすることだろう。(完)

(主な参考文献)
拙著「パナマ運河、百年の攻防と第二運河構想の検証」(2000年、近代文芸社)
拙著「パナマ運河拡張メガプロジェクト」(2007年、文眞堂)