連載エッセイ508:冨田健太郎「パナマ運河と私たちの暮らしとの関係性」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ508:冨田健太郎「パナマ運河と私たちの暮らしとの関係性」


連載エッセイ508

パナマ運河と私たちの暮らしとの関係性

執筆者:冨田 健太郎(信州大学 工学部内 アクアイノベーション機構)

要 約

2007-09年、筆者はシニア海外協力隊(以下、シニアと記す)としてパナマに赴任した。同国は、1992年から青年海外協力隊員としても活動した任国でもあり、一つの里帰りでもあった。本稿では、あらためて、世界遺産となっている『パナマ・ビエホ』、『パナマ歴史地区』および『ポルトベロ』に続いて、パナマ運河の太平用側(ミラフローレス閘門)とカリブ海側(ガトゥン閘門)も加える。

このパナマ運河であるが、私たちにとってはあまり馴染みのない存在ではないかと推察する。ところが、私たちの暮らしにとって、密接な関係にあり、わが国もこの運河の運営や拡張工事等において拠出・協力している。

2014年に第三運河が建設され、この運河を通行する通行隻数も増大していった。しかし、2023年度の前代未聞ともいうべき、スーパーエルニーニョ現象による運河渇水により、1日当たりの通行隻数に制限がかかり、パナマの太平洋側やカリブ海側で待機船舶が増大してしまった。その結果、オークション形式で、高額な通行料を支払って、運河を通過する船舶の他、パナマ運河通過を諦め、アフリカの喜望峰経由でインド洋に向かう船舶もあった。とくに、ブラジル等の南米諸国からの輸入穀物等、喜望峰経由での運送となると、運送料においてもそれ相応のコストがかかることは明白であり、先の高額運河通行量を支払う形であれ(例:わが国のENEOSグループは6億円支払った)、わが国に到達する輸入物資(石油や食糧資源等)は高額となり、ガソリン価格高騰化も含めて、物価高という現象に陥ってしまったのである。

異常気象は仕方がないにしても、今後、人類が取り組むことのできる事項としては、パナマ運河周辺やアマゾン地帯等も含めて、無計画な熱帯雨林伐採による慣行的な農牧業の拡大を食い止め、低環境負荷農牧林生産に関する野外研究とその教育・普及に力を入れることであり、農学者としての視点からも重要であると考えている(本エッセイ前報を参照)。

1.はじめに

2007-09年、筆者はシニアとしてパナマに赴任した。同国は、1992年から青年海外協力隊員としても活動した任国でもあり、一つの里帰りでもあった。本稿では、世界遺産に登録された『パナマ・ビエホ』、『パナマ歴史地区』および『ポルトべロ』に続いて、パナマ運河の太平用側(ミラフローレス閘門)とカリブ海側(ガトゥン閘門)訪問記も加える(詳細な世界史的事項は割愛する)。

実際、私たちにとって、このパナマ運河は馴染みがないように思われがちであるが、実は、私たちの暮らしにとっても密接な関係にあり、わが国もこれの稼働等においては拠出・協力している。あらためて、この運河の重要性を知る要因としては、2023年のスーパーエルニーニョ現象による運河渇水であり、私たちの暮らしに与える影響について考察していきたい。まずは、大航海時代から遡って解説していく。

2.スペインによるパナマ侵略

1492年、クリストファー・コロンブス(1451年-1506年)によって、新大陸が発見され、その後、バスコ・ヌーニェス・バルボア(1475年-1519年)(写真1)がパナマ地峡に到着し、大西洋から太平洋への横断に成功した(1513年)。その後、このパナマを中継地点として、エルナン・コルテス(1485年-1547年)がメキシコのアステカ帝国へ、フランシスコ・ピサロ(1470年頃-1541年)が南米のインカ帝国を征服・滅亡させ、とくに南米からの金銀財宝(ボリビアにはポトシ銀山あり)を奪い、このパナマを中継地点として、太平洋側からカリブ海側まで陸路での移動を通じて、本国スペインへ持ち帰ったという構図である(港町カディスからセビリアへ)。


写真1 バルボア銅像, 2007

この時代、パナマには3つの有名な世界遺産として、『パナマ・ビエホ』、『パナマ歴史地区』および『ポルトべロ』があり、それぞれの訪問記から述べていく。


写真2 パナマ・ビエホ(左:大聖堂、右:マタデーロ橋[1]), 2009

3.太平洋側のパナマ・ビエホとパナマ歴史地区

1).パナマ・ビエホ
シニア赴任当初の2007年4月の他、あらためて、満了前の2009年3月下旬、パナマ・ビエホ(写真2)およびパナマ歴史地区(写真3)を訪問した(JICA事務所専属ドライバーの休暇を利用して、アテンド料を支払う形で)[2]。これらは、「パナマの植民地時代の地峡横断道路」の構成資産の一つであった。前者は、首都パナマ・シティの東へ約7kmの位置にあり、太平洋岸におけるスペインの最初の植民都市であった。ここは1519年に設立され、南米大陸から街に金銀が持ち込まれたために大いに繁栄したが、奴隷の反乱や火事、地震の影響を受けた上に、1671年に英国の海賊ヘンリー・モーガン(1635年-1688年)によって破壊され[3]、現在は廃墟(考古学遺跡)となっている。


写真3 カスコ・ビエホ地区の代表的な建造物(左:首都大聖堂, 2007、右:サンホセ教会内の黄金祭壇[4], 2009)

2).パナマ歴史地区
その後、街の中心は西のカスコ・ビエホ地区に移動し、これは現在のパナマ運河の河口にあるアンコンの丘の麓(ふもと)に建造された。ここにはコロニアル調の大聖堂や修道院、行政施設、集合住宅など、17〜20世紀までの人々の生活の変化を示す建築物が並んでおり、パナマ旧市街または歴史地区と呼ばれている。

4.カリブ海側のポルトベロ

前記したように、南米のインカ帝国からの財宝は、パナマ太平洋側からカリブ海側へ陸路で移動し、その後、ポルトベロの港から出国し、スペイン本国へ持ち込まれた。ポルトベロは16世紀末にスペインによって開港され、太平洋側のパナマ・シティと並ぶアメリカ大陸の交易拠点であった。ところが、外国勢力(特に、前記した英国の海賊ヘンリー・モーガンらも含む)からの攻撃を防ぐため、17世紀から18世紀にかけて複数の要塞が段階的に建設された。これら要塞群として、港の入口(湾口)を守ったのが、サン・フェリペ・トド・フィエロ要塞とサンティアゴ・デ・ラ・グロリア要塞であり、港湾内(湾の奥)を守ったのが、サン・クリストバル要塞およびサン・フェルナンド要塞であり、港町そのものを守ったのが、サン・ヘロニモ要塞であった。これは、現在、最も保存状態が良く、観光地としても知られ、筆者も訪問した要塞である(写真4)。


写真4  ポルトベロのサン・ヘロニモ要塞, 2009

5.パナマの大コロンビアからの独立

この陸路を通じた移動から、やがては運河開発へ向けての歴史が始まるのである。その前に、パナマ運河を語るに当たって、パナマの歴史(大コロンビアからの独立)について少し触れる必要があろう。
1).コロンビアからの独立失敗
コロンビア(大コロンビア)においては、シモン・ボリバール(1783年-1830年)[5]がスペインからの独立を目指し戦い、1819年にコロンビアの建国を宣言し、さらにスペインと戦い勢力を広げていた。他方、パナマでは1821年に独自にスペインからの独立を宣言したが、この当時、パナマ内部も自主独立派とコロンビアに合流しようという併合派に分かれており、結果的にはコロンビアに併合することとなった。しかし、自主独立が完全に捨てられたわけではなく、1830年にエクアドルとベネズエラがコロンビアから分離独立すると、パナマも独立を宣言し、コロンビアから離れようとしたが、この動きはコロンビアに阻止されてしまった。以後、何度かパナマは独立を試みたが、全て失敗に終わってしまったのである(パナマには2つの独立記念日があり、11月3日がコロンビアからの独立記念日で盛大に祝う。同月28日がスペインからの独立記念日だが、コロンビアほどではないという印象)。


写真5 パナマ・シティの旧市街にあるレセップス氏の銅像, 2007

2).米国におるパナマ地峡鉄道の建設
その一方で、米国が大西洋と太平洋を便利に結ぶために鉄道をパナマに建設する計画を立て、コロンビアと交渉し合意を取り付け、1850年、パナマ地峡鉄道の建設を開始し、1855年に完成させた。このとき問題であったのが、何度も反乱を起こしていたパナマ独立派の存在であった。コロンビアはこの反乱を押さえるのに米国を利用し、米国としても安全に鉄道を利用し権益を守るため派兵に応じていた。
3).最初のパナマ運河建設
当初、スエズ運河の建設で知られるフランス人フェルディナン・ド・レセップス(1805年-1894年)(写真5)によって、海面式による運河工事を実施したが、工事に当たっては、膨大な採掘土量や地形特性、大量のスコールの他、マラリアや黄熱病等の熱帯病によって多くの犠牲者を出し失敗した。その後、米国が運河工事に着手、海面式から閘門式となったという歴史を有している。
4).コロンビアからの独立→パナマ運河の開通→運河返還へ
その後、米国が、パナマに運河計画を立てるが、コロンビアとの交渉が難航した(米国に一方的な有利な条件であったため)。このチャンスを生かして、パナマ独立派が動き、互いに相手を利用した形で、1903年、コロンビアから独立した。しかし、完全な独立ではなく、運河の権益も一方的に米国に有利な条件となっており、パナマとしては不満の残るものとなってしまった(運河開通は1914年)。その後、反米運動も起こり、クーデターの勃発、政府が非常事態宣言を発令する等生じたが、1968年オマル・トリホス(1929年-1981年)が権力を握り、そして1977年には米国のジミー・カーター大統領(1924年-2024年)とパナマ運河の返還の協定を結んだ(トリホス-カーター協定:新パナマ運河条約)。

詳細な事項はここでは省くが、1999年12月31日、パナマにパナマ運河が変換され、米国によって占領されていた地域は復帰エリアと称し(注釈2でも記している)、リゾート地等として活用され、観光産業も成長している状態である[6]

6.パナマ運河の特徴

1).運河および閘門式の特徴
パナマ運河について簡単に触れたいと思う。前記したが、同運河は1914年に開通したが,このパナマ運河の建設においても大きな歴史がある。それは、現在のパナマ運河は、運河周辺の熱帯ジャングルで得られるスコールならびにパナマ運河内にある人口の湖ガトゥン湖が重要な水資源となっている。一回、船が通過することにより、2億リットル近くの水が海に排出されるのである。
2).運河の幅
パナマ運河の横幅は33mしかないので、ほとんどの船の横幅は31.8m(パナマックスサイズと呼ばれている)以下に制限されている(写真6)。そして、閘門式の特徴としては、大西洋ならびに太平洋側にそれぞれ3つの閘門(合計6個)を配置し、三段階方式で海と内陸の水位を調節しながら船を25.8m上昇させる。そして、パナマ内陸のガトゥン湖(人造湖で湖面の高さは海抜26m)を通過し、内陸から太平洋なり大西洋に出るとき(全長約80km)は、同じく三段階方式で海抜にまで水位を下げ、船を通過させる[7]

写真6 パナマ運河(太平洋側ミラフローレンス閘門:左, 2007およびカリブ海のガトゥン閘門, 2009)

7.パナマ運河工事に参加した青山 士氏とその業績

1). パナマ運河建設に関与した日本人 青山士氏
実は、このパナマ運河建設に関与した日本人として、青山 士(あきら)氏(1878年-1963年)がいた(写真7)。同氏は土木工学を専攻し、日本人初として、世界的な巨大事業に参加したいという気持ちにより、運河工事に関与した。もちろん、彼の仕事ぶりはExcellentと評されるべき素晴らしいものであったが、日米間では、当時は日本人(黄色人種)に対する差別があり、1914年の開通を待たずして、彼はパナマから去らなければならなかった[8]


写真7 青山 士氏(書籍からの撮影, 2008)

2).東京都荒川区の岩淵水門
2008年6月の一時帰国後、青山氏は、パナマ運河建設で得た知識と技術を駆使しながら、岩淵水門(東京都北区志茂において、現在の荒川と隅田川を仕切る水門)の建設に取り組むこととなった。これは、荒川上流からの流量が増え、大洪水を引き起こすため、水門を建設して、隅田川の洪水を防ぐためであった。かつて、荒川放水路と称されていた人工河川が、現在、荒川と称し、かつての荒川を隅田川と呼んでいる。つまり、この水門はこれらの分岐点である。この水門は地中20m深くまで土台を築いたため、関東大震災においてもダメージを受けなかった。これこそ、青山氏にとっては、もう一つのパナマ運河でもあった。


写真8 岩淵水門(赤水門と青水門), 2008

現在、この水門には2つの新旧があり、旧水門は赤水門、新水門は青水門である(写真8)。前者は1924年(大正13年)に竣工したが、すでに運用は終了した。後者は1982年(昭和57年)に竣工し、運用中である。
3).太平洋戦争時における日本軍部によるパナマ運河破壊計画
詳細はここでは避けるが、太平洋戦争末期、パナマ運河爆撃を目指して、日本海軍の部隊の一つである第六三一海軍航空隊を編成したが、実施に至ることなく終戦となった。

この目的は、米国東海岸からの戦艦や空母等が太平洋側に移動できないようにするというものであった(身動きをとれなくするようにする)。

そして、パナマ運河破壊計画においては、軍部に青山氏が呼ばれ、運河の情報提供等を求めたのであるが、青山氏は軍部に対して、「私は、造り方は知っているが、壊し方は知らない」と発した言葉は有名である。

余談であるが、興味深い話として、旧日本海軍の戦艦大和の全長は263m、船幅は38.9mであり、もちろん、パナマ運河を通過することができない。米軍も、大和級の戦艦や空母を建設しなかったのは、東海岸から太平洋側に出向くに当たって、このパナマ運河のパナマックスサイズを通過することができなかったからである。それゆえ、大和級の巨大戦艦による大艦巨砲主義が有利とされ、同艦の他、大和型戦艦の2番艦であった武蔵(全長263m、船幅38.9m)も建造され、太平洋沖で、米艦隊と闘うことを考えたのであろう(パナマ運河通過可能米艦隊よりも、46cm砲の射程距離が長くなる)。しかしながら、日露戦争の日本海海戦の頃と異なり、真珠湾攻撃が実証したように、飛行機による戦力がメインとなった時代に変わったことから、この大艦巨砲主義は一つの時代遅れであった。

図1 パナマ運河の概略図(パナマックスおよびネオパナマックス)

(出所 https://www.kokusaikouwan.jp/wp/wp-content/uploads/2019/11/Takemura_20191029.pdf を参考に冨田が作成した)

8.パナマ運河拡張工事

1).はじめに
2016 年 6 月 26日に拡張パナマ運河が通航可能となり、大西洋側にアグア・クララ閘門、太平洋側にココリ閘門が設けられた。この背景は、運河の通航需要の増加及び船舶の大型化に対応するためである。そして、既存の大西洋側の運河入口にあるガトゥン閘門、太平洋側の運河入口にあるミラフローレス閘門とペドロミゲール閘門は、第一・第二閘門、新たに設置された閘門は第三閘門と呼ばれている[9](図1)。なお、ネオパナマックスの後方にある貯水池(図1の黄色の点線の四角)は、ガトゥン湖由来の水源の再利用のために設けられたものである。この水源は、パナマ・シティー等、近隣の住民の飲料水としても重要であることを追記しておきたい。以下、最近のパナマ運河の動向について簡易報告していく。
2).第一・第二および第三閘門のサイズの比較
従来までのパナマ運河の幅(パナマックス)は32.3m(通行可能船舶)であったことから、この幅より大きな船舶は同運河を通過することは不可であった。ところが、新たに設けられた第三閘門の幅は51.25mとなり、このサイズをネオパナマックスと称している。

9.パナマックスおよびネオパナマックスにおける船舶種類別の通行隻数

1).パナマックスにおける船舶種類別の通行隻数
パナマ日本大使館からの情報を筆者なりにまとめたものであるが、図2にパナマックスにおける船舶種類別の通行隻数の動態を示す。本書はラテンアメリカ農業を対象にしているので、米国やブラジル等から運ばれる穀物や肉類等の食料品となるとコンテナ船が該当するものであり、ケミカル関係の船舶は対象外とする。実際、コンテナ船に注目すると、時間とともにパナマックスの通行隻数は、2022年度は2016年度の半数以下であることが分かる。


図2 パナマックにおける通行隻数の動態

(出所 https://www.panama.emb-japan.go.jp/files/000360415.pdf
2).ネオパナマックスにおける船舶種類別の通行隻数
図3がネオパナマックスであるが、コンテナ船はネオパナマックスを利用し、2016年度に比べて2022年度はその約8倍近い通行隻数であることが分かる。


図3 ネオパナマックスにおける通行貨物量の動態

(出所 https://www.panama.emb-japan.go.jp/files/000360415.pdf

10.パナマ運河渇水問題

1).2023年度のスーパーエルニーニョ現象
筆者は、パナマ気象水文学研究所(Instituto de Meteorologia e Hidrologia de Panamá: IMHPA)において、パナマ・シティーの2020年-24年までの月別降水量をチェックし、5年分の結果をまとめたのが図4である。


図4 2020~2024年度の月別降水量の比較
(出所 IMHPAの2020~2024年度の各月別降水量結果を冨田が取りまとめた)

2022年度は2313.0mmであり、相対的に高い降水量が認められたが、2023年度は過去3年間(2020年-2022年)よりも、年降水量が少なく、1814.7mmであった。さらに、不運なことに2024年も1762.8mmであり、2023年と同等であった。このことが、パナマ運河における渇水問題を引き起こし、船舶の通行にも大きな影響を及ぼしたということである。幸い、2023年11月には、通常の月よりも高い降水量が認められ、このことが、救世主であったことが挙げられている。

この他、別要因として考えられることは、ブラジルの北部のアマゾン地帯における熱帯林伐採による農牧業の拡大が、ブラジルのみならず、近隣のパナマ、コロンビア、エクアドル、ペルーなどのラテンアメリカ諸国にとっても気候変動等の悪影響を及ぼすことも無視できないということで、対策案としては、本エッセイの前報に記している。
2).パナマ運河における通航隻数の制限
パナマ運河を船舶が通航するたびに多くの水が使用されるため、通航する船舶の隻数を制限する取り組みが実施されている。実際、2023年10月31日時点(過去73年間の観測史上、最も乾燥した月)のパナマ運河に関する情報によると、雨季にも関わらず降水量が少ないという現況を踏まえ、これまでの隻数制限からさらに通航する隻数を制限することとなった。

通常の状態であれば約36隻/日の船舶が通航許可されていたが、2023年8月からは32隻/日となった。その後も雨不足(低降水量)の影響により、現況および今後の乾季シーズンへ向けて通航隻数を段階的に制限したことが公表されており[10]、2023年11月3日-7日までは25隻/日、11月8日-30日は24隻/日、12月1日-31日は22隻/日、翌年の2024年1月1-31日が20隻/日および2024年2月からは18隻/日となり、通常の36隻/日の50%にも減少してしまったのである。

ところが、前記したように、2023年11月は、予想以上に降水量が多かったことから(図4参照)、それと同時に節水対策により水位が上昇したことにより、幸いにも、2024年1月の通行予約枠は24隻/1日へと回復した。だからといって、安心するのは早合点で、2023年8月には通行可能隻数が減らされたことによって、パナマ運河の両端(太平洋側とカリブ海側)には、200隻以上の船舶が順番待ちの状態となってしまったのである(2週間近くも待たされた船舶もあった)。
3).現状の問題点とオークション形式によるパナマ運河通航策
このような200隻以上の船舶停滞状態に対して、パナマ側としては、1日の隻数制限の中で利用可能な許可枠はオークション形式で予約するというシステムを設けた[11]。実際、予約なしでも通航できるようであるが、11月に入り通航するまでの待機日数は徐々に増加している。入札によって予約枠を獲得すると、先に到着していた船舶を抜かして、パナマ運河を通航することができるというものである。現実には、わが国のENEOSグループが、6億円を支払う形で運河を通過したという。

11.鉄道による代替輸送手段

現在、通行隻数が限られている中、船舶を軽くして運河を通航する手段としては、太平洋側(パナマ・シティー)とカリブ海側(コロン)を結ぶ鉄道輸送という手があろう(写真9)。この鉄道輸送は、新しく始まった事業ではないが、1999年12月31日にパナマ運河がパナマに返還された後、前記した米国関係者駐在区域が復帰エリアとなり、その後、頻繁に貨物列車が運用されるようになったと推測している。

鉄道輸送策であるが、これは、大型貨物船等の船舶を軽くするため、太平洋側またはカリブ海側の港でコンテナ等の荷積みを一度下して、鉄道輸送に切り替えるのである。船舶を軽くなることで、運河通航において節水に大きく貢献するということである[12]。そして、運河通過後の港でコンテナ等を再荷積みして、最終目的地へ向かうということである。もちろん、デメリットしては、太平洋側またはカリブ海側の両港において、荷積みに要するコスト(人件費も含む)がかかることであろうが、ガトゥン湖の水資源を守るためにも重要である。


写真9 パナマ・シティー付近のパナマ鉄道(貨物輸送の光景), 2009

写真10がパナマ運河鉄道(観光用で、注釈6にも示した)、ポルトベロへの観光に当たって、筆者は、パナマ・シティーからコロン駅まで、この運河鉄道を利用した。座席に座らず(二回の展望窓が汚かったため)、外に出て、100km/h近い走行の中、トンネル等に注意を払いながら動画を撮った(注釈6のyou tube参照)。


写真10 観光用運河鉄道コロン駅到着, 2009

12.私たちの暮らしに及ぼす影響

1).筆者のパアマ在住友人らの回答
さらに、筆者は、青年海外協力隊時代(1992~95年)から今日にわたって、親睦を図らせていただいている農牧研究所同僚(上記時代はパナマ農牧研究所土壌研究室長、2007~09年におけるシニア海外協力隊時代は同研究所副長官)に運河の状況をFacebookのメッセンジャーにて尋ねてみた(2024年8月)。同氏からは、「パナマ全土において、降水量が通常通りに復活し、停滞船舶も通過可能になった」ということと、「乾季におけるエルニーニョ現象に影響しないための他の貯水池が増設される」という回答をいただいた。さらに、同月、同国在住日本の友人にも再確認したところ、この問題は解消され、毎日36-37隻/日通過しているとのことであった。だからといって、まだ、この問題は終わっていない。
2).生活物資の高騰化
このパナマ運河渇水問題における一番の関心事項は、ガソリン代の高騰であった。前記したように、ENEOSグループが、オークション形式で6億円支払ったことは記した。この上乗せは、ガソリン消費者に重くのしかかるものと推察していた。わが国は、各県によってガソリン代は異なるが、長野県は全県の中で最高値であり、2025年1月あたりはは約191円/ℓと過去最高となった(政府の援助が打ち切られた)。現在は約181円/ℓであるが、2025年7月20日の参議院選挙での自公大敗、野党が進めるガソリン税暫定税率廃止に期待したいところである。

この他、石油製品をはじめ、生活物資や食料品の価格高騰化も無視できない要因である。とくに、ダイズ、飼料用トウモロコシ、コムギおよび牛肉類等は、米国やブラジル等からの輸入に依存しているが(わが国の食料自給率37%程度)、これら農産物は、パナマ運河のカリブ海側から入って、太平洋側を通過してわが国に到着する。この渇水問題により、穀物等のコンテナ船は、同運河通過を諦め、アフリカ喜望峰を経て、インド洋経路を選択した。こうなると、運送時間が延長され、ますます価格高騰となってしまうことが想像できよう。

13.おわりに

異常気象は仕方がないにしても、今後、人類が取り組むことのできる事項としては、パナマ運河周辺やアマゾン地帯等も含めて、無計画な熱帯雨林伐採による慣行的な農牧業の拡大を食い止め、低環境負荷農牧林生産に関する野外研究とその教育・普及に力を入れることであり、農学者としての視点からも重要であると考えている(本エッセイ前報を参照)。

これも余談となるが、2024年の異常高温によるイネ不作・コメ価格高騰化・備蓄米放出事情等も考慮して、国内における穀物や食糧自給率の向上も真剣に考えていかないといけない時期にきていると思っている。

 

【参考文献】

 

  1. ガソリン税暫定税率廃止が決定! どのくらい「ガソリン代」が安くなるの? いつからスタート

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  3. Instituto de Meteorologia e Hidrologia de Panamá (IMHPA). https://www.imhpa.gob.pa/es/datos-diarios?estacion=2&mes=1&ano=2022
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  1. 73年間で最も少ない降水量、水不足の影響で渋滞するパナマ運河

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  6. 渡邉優.世界のチョークポイント・パナマ運河と米中対立. 2025.

https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/2025-09.html

[1] 「マタデーロ(matadero)」とは屠殺場の意味で、植民地時代、この近辺に牛などの屠殺場があったことから名付けられました。輸送や排水のためにこの橋が使われていたと考えられている。

[2] ここパナマ旧市街は、危険地帯の一つであったので、単独散策は避けたかったので、復帰エリア地帯(1999年12月31日のパナマ運河返還前は、運河関係の米国人在留地帯であった)を走行するパナマ運河鉄道の走行動画撮影、パナマ・ビエホ訪問とペアーにする形で一緒に周ったのである。

[3] 1671年1月28日に襲撃して火を放つと、4週間以上も燃えていたという証言があるほどに残虐だった(筆者もパナマ・ビエホ資料館で、そのような絵を見た)。

[4] 黄金祭壇:1612年に建てられたサンホセ教会内の教会の祭壇は黄金で、マホガニーで作られた上に金箔が貼り付けられた。幸い、海賊のヘンリー・モーガンがパナマを襲来した際、祭壇は黒色に塗り替えられ、略奪から逃れることができた。

[5] シモン・ボリバール:現在のベネズエラ生まれのスペイン人で、ヨーロッパでは、フランス人ナポレオン・ボナパルド(1769年-1821年)により、スペインが征服された後、スペインの国力が弱まり、ラテンアメリカもスペインからの独立を叫ぶようになった。実際、スペイン本国生まれスペイン人はペニンスラ、ボリバールのようにラテンアメリカで生まれたスペイン人をクリオーニョとして差別されていた。それに不満を持っていたボリバールらは、自由を勝ち取るため、大コロンビア(コロンビア、ベネズエラ、エクアドルおよびパナマの4ヶ国を含む)として独立を果たした。それゆえ、パナマ、コロンビア、エクアドル等の訪問国では、ボリバールの銅像が存在したり、小学校の教室にも彼の肖像画を目にしたものであった。なお、ベネズエラの正式名称は、ベネズエラ・ボリバル共和国であり、首都カラカスの国際空港で、ブラジルのマナウス行き飛行機便の一晩ほどのトランジット経験あり(1995年8月)。

[6] You tube動画にて、筆者によるパナマ・シティーからコロン駅までの快走動画(観光用鉄道):パナマ運河鉄道 Tren de Canal de Panamá  https://www.youtube.com/watch?v=mFbmQ_zdkEU

[7] お粗末ながら、筆者は、Power Automate for Desktop (PAD)を使ったExcelでのアニメーションも実施した。このアニメーションを見れば、船舶の閘門式での運河通過を動画のように見ることができるので、以下、You TubeのURLを示しておくので、クリックしてもらいたいと思う(24秒)。タイトル名:『パナマ運河』https://www.youtube.com/watch?v=oEwsKzQrtzY

[8] 1904年6月よりパナマ運河工事委員会に採用され、パナマ運河開削工事に従事するが、勤勉さと手腕を高く評価された青山は、測量技師、設計技師と昇進、技術者としてガトゥン閘門の重要部分(側壁等)の設計を担当、ガトゥン工区の副技師長に昇進した。しかし、パナマ運河の完成を見ることなく、1911年11月に帰国の途に就く(休暇として帰国し、帰国後に辞表を提出した)。これには、日露戦争後に米国において日本への警戒や外国人排斥(はいせき)運動が高まった影響もあり、新聞にはスパイではないかとの疑いも書かれたという。帰国後、再び、パナマ運河を見ることはなかった。

[9] わが国はパナマ運河の運営、写真6で示した通過船をけん引・誘導する機関車(日本製)の他、米国、パナマとともにパナマ運河代替案調査委員会を創設して運河拡張計画をまとめ上げ、拡張工事にもJBIC融資(8億ドル)をもって参画し、(株)国際協力銀行(Japan Bank for International Cooperation: JBIC)の融資(8億ドル)でもって参画した。https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/2025-09.html

[10] 実は、パナマ運河を閘門式により船一隻を通過させるのに必要な水量は1億9000万ℓであり、これは、25mプールに36万ℓの水が入っているとしたら、その500倍以上の水になる。つまり、水不足によって、実は、2023年9月は、船舶が通るガトゥン湖の水位がいつもより2mも下がったのである。

[11] これは『優先通行券』のことであり、パナマ運河庁(Autoridad del Canal de Panamá: ACP)長官のDr Ricaurte Vásquez Moralesは、渇水による危機的な状態(低収益となる)から回避するべく採用された戦略で、「先に通過していい」という割増料金を課し、その結果、従来よりもパナマ運河収益向上を目指した。その結果、2023年度の売上は、パナマ経済2024年2月報によると、総収入は前年度比15%増の49億6800万ドルであった(2024年度はさらに2.7%増えると予想)。

[12] 船舶が水中に沈んでいる深さを『喫水(きっすい)』と称し、荷物が多いほど船舶は重くなり、喫水も深くなる。そこで、荷物を下して船体を軽くすれば、喫水の深さを短くなり、閘門での節水に貢献する。これが喫水制限であり、喫水を1フィート(30.48cm)短くするには、コンテナを300~350個下(おろ)す必要があるといわれている。