執筆者:司 涼(元JICA海外協力隊)
南米大陸での駐在経験を持つ読者なら、コロンビア第二の都市メデジンが、かつてどのようなイメージで語られていたかをご存知だろう。私自身、JICA海外協力隊員として6年前にこの街を訪れた際、街並みの片鱗は知っていたものの、暴力的な過去と現在の躍動感との間に横たわる深い断絶に触れる機会はなかった。

2025年9月14日、私はこの街の「うわべではない姿」を知るため、メデジンを再訪した。目的は、かつて最も危険な地域の一つとされたコミューナ13が、いかにして再生を遂げたのかを、この目で確かめるためだ。特に、コロンビア特有の階級区分制度「エストラート」が人々の生活に落とす影と、ストリートアートが持つ再生の力、そして「観光」という新たな光がもたらす現実に関心があった。
メデジンを擁するアンティオキア県は、2024年に国連世界観光機関(UN Tourism)から持続可能な観光地として認められている。中でもコミューナ13は、麻薬組織の支配と政府による大規模な紛争を経て「革新的な都市」へと生まれ変わった象徴的な地区だ。本稿では、コミューナ13の観光に焦点を当て、現地ガイド付きツアーでの見聞に基づき、この地区の変革の軌跡と、それが抱える新たな課題を考察したい。
コミューナ13へ向かう車中、ガイドさんはまず、コロンビアの都市計画の根幹にあるエストラート制度(Estrato System)について説明してくれた。これは、住宅を社会経済的な豊かさに応じて1(最貧困)から6(最富裕)の階級に区分する制度である。
コロンビア国家統計局(DANE)の公式サイトでは、高エストラート層(5、6)が支払う公共サービス料金の一部を、低エストラート層(1、2、3)の料金補助に充てる「相互扶助」が目的とされている。しかし、その実態はより複雑だ。この制度は、住所によって個人の社会階級を可視化し、特定の地域に住む人々への偏見を助長する側面を持つ。通りを一つ挟んだだけで公共サービスの質が変わり、生活の中に「不公平感」が生まれることも少なくない。私自身、かつて住んでいたカルタヘナの低エストラート地区で、その現実を肌で感じた経験がある。シャワーの最中に突然水が止まり、数ブロック先の友人の家まで水を借りに行ったことがあった。それは制度がもたらす不便さを超え、生活の尊厳に関わる問題だと感じたものだ。
一方で、ガイドさんの話は、制度の画一的ではない側面も浮彫りにした。一部の住民は、公共料金の補助を受けるために、あえてエストラートの低い地域を戦略的に選んで住むことがあるという。これは、制度が必ずしも「生活レベルを固定化する烙印」ではなく、人々がしたたかに利用する現実を示唆していた。エストラートという格差構造が残る中で、コミューナ13が再生の道を歩んだ背景には、こうした複雑な現実がある。

(1) 物理的な変革:メトロカブレが繋いだ希望
メデジンの山腹に位置するコミューナ13は、かつてギャングや麻薬組織が支配する無法地帯だった。2002年の政府との紛争後、街の再生の礎となったのは、物理的なインフラ整備だった。その象徴が、公共交通機関であるメトロカブレ(ロープウェイ)だ。
山頂の駅から都市部への移動時間を車で45分からわずか15分へと劇的に短縮したメトロカブレは、住民にとってまさに「生命線」となった。ガイドさんは、この恩恵に対する住民の深い「感謝の文化」が、設備の清潔さを維持していると語る。彼らにとってメトロカブレは単なる交通手段ではなく、政府から見捨てられていなかったことの証であり、その価値を大人から子どもへと語り継いでいるのだ。

このインフラ整備による変革は、2008年にウォールストリート・ジャーナル紙で「世界で最も革新的な都市」の一つとして紹介され、国際的な注目を集めるきっかけとなった。そして2010年代に入ると、コミューナ13は本格的な「観光の時代」へと舵を切ることになる。
(2) アートが持つ二つの意味:MuralとGraffiti
コミューナ13の再生を語る上で欠かせないのが、街中に溢れるストリートアートだ。ガイドさんは、Mural(壁画)とGraffiti(落書き)の明確な違いを説明してくれた。
• Mural(壁画): 地域の歴史や記憶、未来への希望を伝えるために計画的に描かれる。文化資源として保存されるべき価値を持つ。
• Graffiti(落書き): 現在の声や瞬間の感情を表現するもので、常に新しいメッセージで上書きされていく流動的な表現。
この明確な区別は、私にとって特に印象的だった。それは、住民が自分たちの「変えられない過去」と「変わり続ける現在」を、アートという手法で意識的に使い分け、世界に発信していることの表れだと感じたからだ。
地区の入口に描かれた象徴的な人物画は、まさにMuralだ。黄色い肌で希望を宿す左目と、紫がかった色で過去の暴力を示す右目は、この街の二面性を表している。その手は地面の鎖を断ち切ろうとしており、物理的な暴力からの解放と未来への探求という、住民の強い意志を感じさせた。コミューナ13のアートは、単なる装飾ではなく、「抵抗の表明」であり「希望の記録」と思われた。

(3) 観光の現実と持続可能性への問い
メトロカブレの駅からさらに車で向かったコミューナ13の中心部に到着すると、重低音のヒップホップミュージックが鳴り響く一角で、若いストリートダンサーのグループが、重力を感じさせないアクロバティックなパフォーマンスを繰り広げていた。そのエネルギッシュな動きに、国籍も様々な観光客たちが手拍子を送り、歓声を上げる。彼らの躍動感と、それを取り巻く熱気は、コミューナ13がもはや過去の暗いイメージとは無縁の、生命力に満ちた場所であることを何よりも雄弁に物語っていた。
その先は、多くの観光客で賑わい、土産物屋や屋台が立ち並ぶ商店街の様相を呈していた。屋外エスカレーターが設置され、観光客は急な坂道を容易に登ることができる。道沿いには、カラフルなTシャツやアクセサリーを売る露店、香ばしい匂いを漂わせる食べ物の屋台がひしめき合い、観光客と地元住民の声が混じり合って、一種の祝祭のような雰囲気を醸し出していた。壁面には次々とGraffitiが現れるが、それらは絶えず上書きされるため、ガイドさんですら全てを把握しているわけではない。アートが「生きたコミュニケーション」であることを物語っていた。
散策中、ガイドさんが勧めてくれたマラクジャ(パッションフルーツ)のシャーベットは、自然な酸味が心地よく、この土地の恵みを感じさせてくれた。しかし、活気の一方で課題も見えた。観光客向けの土産物は多いものの、地域独自の魅力を持つ商品は少なく、この賑わいを持続可能なビジネスへ繋げるための「観光商品づくり」は道半ばだと感じた。
最も深刻な課題は、観光客の混雑だ。
狭い道は常に人で溢れ、ゆっくりと壁画を鑑賞することもままならない。ガイドさんによれば、現状では混雑を緩和するための具体的な規制はないという。その中で、景観を維持するためにゴミを拾い集める清掃員の姿が何人も見られたのは印象的だった。彼らの存在が、この地区のイメージを守る一助となっているのだろう。


コミューナ13は、メトロカブレという物理的なインフラ整備と、アートという文化資源を観光に結びつけることで、劇的な再生を遂げた。かつての危険なイメージを払拭し、世界中から観光客を惹きつける「成功事例」となったことは間違いないだろう。
しかし、その光の裏で、新たな影も生まれつつある。観光客の過度な集中は、住民の生活環境を脅しかねない。観光が生み出す経済的な利益を、いかにして地区の隅々まで公平に還元し、混雑といった課題を乗り越えていくか。
ツアーの帰り道、ガイドさんは観光客が決して足を踏み入れないような、幅1メートルほどの住民専用の裏道へ案内してくれた。「この道も、将来は舗装される予定なんですよ」と彼は言う。その言葉は、観光開発が新たな段階へ進もうとしている兆候であると同時に、コミュニティの生活空間がどこまで観光と共存できるのかという、難しい問いを投げかけているように聞こえた。コミューナ13の変革の物語は、まだ終わってはいない。暴力の時代を乗り越え、アートの力で再生を遂げたこのコミュニティが、今度は「持続可能な観光」という新たな挑戦にどう向き合っていくのか。そのしたたかな生命力に期待しつつ、これからも静かに見守っていきたい。
以 上
【参考文献】
・INSTO (International Sustainable Tourism Observatories):Antioquia Tourism Intelligence System (2024年登録)
https://www.untourism.int/observatories/antioquia-colombia