ブラジル各地で移住者の帰郷を扱った演劇「もくれんのうた」を上演してきた筆者が、農業生産と農民バレエ等の文化活動を実践する弓場農場とアリアンサ村の人たちとの出会いをきっかけに、アリアンサ移住地の戦前戦後の両国に残る資料を調査し、関係者に聞き取りを行って纏めたもの。
1924年(大正13年)にアリアンサ移住地を開設するまでの日本力行会の永田稠と輪湖俊午郎の活動、信濃海外協会の設立と移住地建設の動き。日本国内では海外移住組合法等の国策移住法制定と海外移住組合連合会の出現、その専務理事梅谷光貞と輪湖俊午郎によるブラジル拓殖組合の設立やその後の国策移住地と全アリアンサ統合の経過。
一方で太平洋戦争の勃発とブラジルでの敵性国民取り締まり、アリアンサ防衛のための弓場勇らによる産青連運動。日本敗戦後の混乱を経て無一文になった弓場農場の再建と芸術拠点の建設による「創造する百姓」の活動が知られるようになったが、弓場勇は1976年に70歳で亡くなり、後継者に託された。
他方、コチア農協や南米銀行の消滅など、1990年代以降日系社会は激動の時代を迎え、弓場農場は公益法人化するなどの変容があったが、「コムニダーデ・ユバ」の文化芸術活動はブラジル政府にも多民族文化共生と評価されるに至った。ブラジル日本人移住史からは抹殺されながらも、自分たちの村の歴史にこだわり続けた、ブラジル奥地のアリアンサ(協同)精神の歴史を綴った労作である。
(同時代社 2013年8月 350頁 3,500円+税)