連載エッセイ526:冨田健太郎「植物遺伝資源と小農の文化生態系の保全: コスタリカでの保全&パナマでの農業事例」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ526:冨田健太郎「植物遺伝資源と小農の文化生態系の保全: コスタリカでの保全&パナマでの農業事例」


連載エッセイ526

植物遺伝資源と小農の文化生態系の保全:
コスタリカでの保全&パナマでの農業事例

執筆者:冨田 健太郎(信州大学工学部内アクア・リジェネレーション機構)

要 約

筆者はパナマでの青年海外協力隊(Japan Oversea Cooperation Volunteers: JOCV)[1]の任期満了後、東京農業大学農学部(現:国際食料情報学部)国際農業開発学科において、コスタリカやエクアドルにおける植物遺伝資源のスペイン語和文翻訳の仕事を依頼された。これは筆者がスペイン語という、日本人農学者にとっては未知な領域であったこともあり、英語のみの修得であれば、この仕事を依頼されることはなかったと思っている。

幸い、筆者は、JOCV時代(1992年-95年)から、パナマにおいて、劣悪な酸性土壌において、耐酸性品種の選択と同土壌改良という野外での研究を実施してきたことから、この植物遺伝資源の保全という未知の領域にも関心を示すようになった(例:多品種同時栽培による病害虫リスク分散等)。つまり、このような企業型農業も含めた高収量性の単一品種の大量生産は、『持続的な農業には結びつかない』ということに気が付きだした。

この植物遺伝資源の保全の目的であるが、『特定の病害虫に抵抗を有する遺伝子をもつ原種を探索し、これを用いて、新品種の開発を行う』ということのため、現在、使用されなくなった在来種も含めて、これら遺伝資源(種子や栄養繁殖体等)の保全が重要になってきたのである。そして、このことは、農学研究機関の研究者のみならず、国連の政治家レベルにまで、その重要性が認識されるようになったのである。

一つの見本として、アンデス地域では、トウモロコシやジャガイモ等、多様な品種が存在し、病害虫汚染リスクを軽減することを目的に、多品種同時栽培を実施している。また、モライ遺跡アンデネスより、海抜の違いによる環境変化も考慮して、適作物や適品種の選択、つまり適地適作もベースにしていることである。

中央アメリカ(以下、中米と記す)および南アメリカ(以下、南米と記す)は、旧ソビエト連邦の植物学者バビロフ(Vavilov)[2]によって、作物の重要な起源地の二つとされ、大航海時代を境にして、これら地域由来のトウモロコシ、ジャガイモ、トマト、ピーマン、トウガラシ、カカオ、サヤインゲン等の作物がヨーロッパを経由して、全世界に伝播していった。このような作物が、私たちの食卓に存在することは非常にありがたいことであり、例えば、新大陸が発見される以前は、イタリアにはトマトは存在していなかった。このトマトの恩恵によって、現在のイタリア料理のレシピが存在していると解釈できよう。これら作物にとっては、これら起源地が最適環境であり、消滅することがなかったのである。

実際、コスタリカに本部を有する熱帯農業研究教育センター(Centro Agronómico Tropical de Investigación y Enseñanza: CATIE)の植物遺伝資源部を訪問し、アクティブコレクション、ベースコレクションおよび生体保存の現場を視察した。

しかし、作物の大量生産は、地球の人口増大に応じては必須事項である。それと同時に、貧困層に対する農業技術協力は、その地域の文化生態系の保全(パナマでの事例紹介)も含めた、低投入持続型農業(Low Input Sustainable Agriculture: LISA)の確立にある。それゆえ、この両者をバランスよく共有させることは、現在においても大難問であり、筆者にとっても新たな課題となってしまった。

しかし、次に続く『アグロフォレストリー』を学び、それを隣国パナマで実践したことで、一つの方向性が見えてきたのである(次のエッセイで報告する)。

1.はじめに

筆者は、1992年-95年にわたったパナマでのJOCVの任期満了後、95年9月-96年1月までのしばらくの間、東京農業大学農学部(現:国際食料情報学部)国際農業開発学科に籍を置き、ここでは、社団法人 国際農林業協力協会[3](Association for International Cooperation of Agriculture and Forestry: AICAF)による『コスタリカおよびエクアドルにおける植物遺伝資源に関するスペイン語翻訳叢書』の作成・出版に励んでいた(【参考文献】の6参照)。筆者は土壌肥料学を専門としていたことから、当初、専門外であり、その翻訳に苦労したが、在来種も含めた遺伝資源の保全とその活用は、低投入持続型の土壌改良技術においても重要な部分をなすと考え、これに関する概念の学習にも努めたものであった。なお、上記翻訳叢書においては、エクアドルの内容も一部組み込まれているが、この当時は、筆者にとって、エクアドルは未知な国の一つであり、同国での活動が叶ったのは、前エッセイでも取り上げたが、2014年3月下旬からである。

2.栽培植物の起源地

1).中南米起源の主な農産物
大航海時代を経て、金銀財宝、キリスト教布教の他、私たちの食卓に欠かすことのできない農産物も発見(中南米原産)され、これらが伝播された。その代表的な農産物として、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、ピーマン、トウガラシ、パインアップル、サヤインゲン、カカオ(チョコレートの原料)、タバコ等が挙げられる。ここでは簡単ではあるが、中南米の有名農産物の起源地を示しておく(図1)。

図1 中南米起源地の農産物

2).地球上における12の起源地
実際問題、現在においても、地球上で広く栽培されている植物が、どの地域で最初に栽培化されたのかという研究は前世紀からなされている。バビロフは栽培植物が大きな変異を持つことから、自然状態でも変異の多く存在する地域こそ、その栽培食物の起源中心ではないかと考え、実際の探査・調査を行っている。そして、地球上の8つの地域として、中国、インド、中央アジア、中近東、地中海沿岸、エチオピア、中米および南米が、多くの作物の中心地になったと推論されてきた。なお、最近では、インドシナ~インドネシア、オーストラリア、ヨーロッパ~シベリア、北アメリカを加えた12の地域が中心になったと考えられている。

3.世界の農業の目指してきた方法

1).単一品種による大量生産の功罪
地球上の人口増大に応じて、食糧の増産も余儀なくされ、かつて、大部分の農学者は、「作物を大量生産すれば、飢餓から救うことができる」と信じていた。それは、現在完了形の状態でもあり、主に高収量性改良品種を用いた形で、ブラジルのセラード開発等も含めた新大陸における企業型農業がこれに該当する。

わが国の農業においても、例えば、アンデス原産であるジャガイモであれば、代表的な品種として『男爵:丸みのタイプ』や『メイクィーン:楕円形のタイプ』があり、これら単一品種の栽培が見受けられる。トマトの『桃太郎』もその一つであり、高収量品種に絞った、単一品種の栽培とその強化が進められてきた。

しかしながら、何年か経過して、その大量生産された品種を攻撃する病害虫の大量発生という事態も生じた。この背景は、単一品種による大量生産は、その品種が有する特定の遺伝子に対して攻撃力を有するようになり、標的病害虫のターゲットになってしまったのである。この他、土壌資源の劣化も無視できない事項であり、メキシコやマヤ文明を含めた古代文明の崩壊という、一つの歴史が証明している。

2).アイルランドでの事例
大航海時代を経て、1586年頃、ウォルター・ローリー(Walter Raleigh)[4]は、南米のアンデスから2-3種類のジャガイモの種イモを持参し、これをアイルランドに普及させることを考えた。ジャガイモは、ヨーロッパ諸国でも栄養価が高い人気作物として普及していったが、このことはアイルランドにおいても該当した。実際問題、アンデスは高冷地で湿気が少なく、ジャガイモにとって、糸状菌による病害が発生しにくい環境であった。このことが、長年、アンデスにおいて主食作物として永続した理由でもあるが、導入されたアイルランドでは、湿地帯が多く(コムギ栽培不可)、湿気も多かった。このことが、ジャガイモにとって、糸状菌による病気に汚染され、壊滅的な状態に陥ってしまった。それでも、ジャガイモの栽培がし続けられたというが、収穫は期待できず、それに伴い、300万人近い人たちが餓死し、難民になってしまったという歴史がある。

3).米国のコーンベルトでの事例
米国では、トウモロコシの栽培に関しては、高収量性の雑種(ハイブリッド)が採用されている。かつて、2-3種のテキサス遺伝子と称されるハイブリッドによる大規模栽培が実施されていたが、1970年、その遺伝子を攻撃することのできる病原菌による葉枯れ病が発生し、壊滅的なダメージを受けたということである。これに対する対策としては、この病気に強い遺伝子的に異なった品種を導入し、この問題をクリヤーすることができた。(アイルランドの二の前にはならなかった)。

つまり、このような企業型農業も含めた高収量性の単一品種の大量生産は、『持続的な農業には結びつかない』ということに気が付きだしたのである。

4.適地適作および多品種同時栽培の重要性

1).アンデス農業から見習う
一つの見本として、アンデス地域では、トウモロコシやジャガイモ等、多様な品種が存在し、病害虫汚染リスクを軽減することを目的に、多品種同時栽培を実施している。また、モライ遺跡アンデネスより、海抜の違いによる環境変化も考慮して、適作物や適品種の選択、つまり適地適作もベースにしていることである。

2).適地適作の重要性
中南米起源の農産物を例にとると、トウモロコシ、ジャガイモおよびトマト等は、アンデス地域(乾燥少雨)の環境に適応できる種であり、この環境と異にする地帯(例えば、高湿気湿地帯等)には、その環境に生育する病原菌(主に糸状菌)による汚染を受けるということで、ウォルター・ローリー氏が証明していることである。

これら中南米を起源とする代表的な農作物は、ヨーロッパを経由して、世界各国に広がり、長い年月をかけて、交雑育種等によって、その地域に適応できる品種として育成されてきた。しかしながら、その育成品種にも限界があり、不適な環境へ無理やり導入することには大失敗につながることは明白で、わが国においても、農業参入企業等にみられる光景である。

この機会に、各々の作物の起源地の環境等を考慮に入れた適地適作ならびに遺伝子配列の異なった品種を二つから数種選んで、リスク分散同時栽培が重要であることに気が付いてもらいたいと考えている。もちろん、土壌条件を考慮に入れた適切な施肥管理も重要視しなければいけない(ここでは詳細は割愛)。

5.植物遺伝資源の保全の概念

1).遺伝資源の保全の重要性
ここから本題に入っていくが、結論を先に記すと、『特定の病害虫に抵抗を有する遺伝子をもつ原種を探索し、これを用いて、新品種の開発を行う』ということのため、現在、使用されなくなった在来種も含めて、これら遺伝資源(種子や栄養繁殖体等)の保全が重要になってきたのである。
2).国連レベルにまで到達した遺伝子資源の保全
1972年、スウェーデンのストックホルム(Stockholm)において、国際人間会議が開催され、前記した1970年に発生した『テキサス遺伝子』の問題も絡めて、遺伝子資源を守るネットワークを築くことが決定された。つまり、研究者レベルのみならず、国連という政治家における問題としても発展し、その重要性が認識されたのである。

6.国際農業研究機関(CGIAR)他

ロックフェラー( Rockefeller)財団およびフォード(Ford)財団は、1960年に国際イネ研究所(International Rice Research Institute: IRRI[5]、1966年に国際コムギおよびトウモロコシ改良センター(Centro Internacional de Mejoramiento de Maíz y Trigo : CIMMYT[6]、1968年に国際熱帯農業センター(Centro Internacional de Agricultura Tropical: CIAT[7][8]を設立し、世界の食糧生産向上に大きく貢献した。

しかし、資金拠出が困難となったことや、こうした事業は民間のみで行うべきものではなく、先進国政府が中心となって行うべきであると考え、1969年4月、先進諸国政府、国際機関等の代表者がイタリアのベラジオ(Bellagio)に招請し、この旨を伝えた。これに賛同した国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development: IBRD)が中心となり、国際農業研究協議グループ(Consultative Group on International Agriculture Research: CGIAR)を結成し、1971年5月に第1回会議が開催された。そして、この傘下にある国際農業研究機関は、各作物や樹種の遺伝資源の保全にも力を入れており、1999年代後半の話ではあるが、わが国はODAの予算の中で、この遺伝資源の保全に関しては、40億円の拠出を行っていた。

このCGIARは一種のNGOであり、国際的、非政治的、非営利的、自立独立的組織であり、議長は世界銀行副総裁が務める。事務局は米国のワシントン(Washington)世界銀行内にあり、現在、その傘下に前記した研究機関も含めて、16の国際農業研究機関が存在している。

他方、前記AICAF主催による農業協力専門家長期研修において、この植物遺伝資源の保全についても学習した。茨城県つくば市にある農林水産省の国立研究開発法人国際農林水産業研究センター(Japan International Research Center for Agricultural Sciences: JIRCAS)においては、バーコード付きで各種遺伝資源の保全と管理に徹底していた。

7.コスタリカの熱帯農業研究教育センター(CATIE)を訪問して

1).植物遺伝資源の保全の実情を知りたい
前記海外農業協力専門家長期研修(1996年4月-11月まで)開始前の2月に、中米コスタリカのトゥリアルバ(Turrialba)地区(図2)に本部を有するCATIE等を訪問した(写真1)。なお、この地区の土壌は、年降水量は2636mmおよび海抜602mである。

図2 コスタリカ共和国のマップ


写真1 CATIEの事務所, 2001
2).種子の保存
遺伝資源を保存する施設をジーンバンク(遺伝子銀行)と称するが、保存(コレクション)形態には次の二つが存在する。一つはベースコレクション(長期保存)であり、もう一つがアクティブコレクション(中期保存)である。

前者は生殖質の永久保存を目的としているのに対して、後者は素材の配布、交換、増殖、特性評価の他に、品種改良計画や生殖質の活性損失を防ぐことを目的としている。また、新しく収集することが困難な生殖質の保全に関しても、このアクティブコレクションが適用されている。なお、これらの保存形式は万国共通であり、先のCGAIR傘下の国際農業研究機関やJIRCASも、以下に説明するやり方に準じている。

3).アクティブコレクション
アクティブコレクションされる種子は、水分含量を7%に調節し、5℃で保存される(写真2)。もちろん、冷蔵室で保存される前に病害虫の確認ならびに消毒を行う。

写真2 アクティブコレクション, 1996


写真3(左下) ベースコレクション, 1996

4).ベースコレクション
ベースコレクションされる種子は、増殖を目的として、アクティブコレクションされた種子を消毒後、水分含量が4-6%程度になるように乾燥させる。その後、アルミニウムの袋に入れ、密閉して-17℃で保存する(写真3)。水分含量と変異性については、保存前に試験される。また、他の遺伝資源のセンターにおいて増殖のため、特定の量が分配されている。ベースコレクションに関しては、保存されている種子の変異性は10年-100年が限度であるが、種によってそれ以上のものもある。また、ある種に関しては、3年-5年単位で発芽率をチェックしているものもある。

さらに、遺伝的素材において、変異性が10%程度減少した場合、また送付によって種子量が減少したら失った分だけ再増殖を行う。

補足事項であるが、同センターの樹種遺伝資源保全部(次のエッセイで取り上げる)のスタッフよりもらった、ベースコレクション用アルミニウムの袋である。そして、樹種の種類や保存量により、11.5×8cm(小) 長11.5×24cm(長)および16.5×20cm(大)というように3つのタイプが存在する(写真4)。保存種子導入後、熱で封をするということである。

写真4 ベースコレクション用の大・長・小のアルミニウムの袋(左)と袋開状態(右), 2025


写真5 サツマイモ(左)およびピーチパーム(右)の生体保存, 1996
5).栄養繁殖性作物を対象にした生体保全
これら2つのコレクションの他に、フィールドコレクション(生体保存)として、生息域内保全があり、自然の森林や一般の農耕地で実施されている。しかし、欠点としては、自然状態での維持であるため、コストがかかることである。写真5に、サツマイモとピーチパームの生体保存をそれぞれ示す。

特に、フィールドコレクションは、一年生作物種よりも樹種、果樹のような永年性作物が適している。ここ最近、バナナサトウキビキャッサバサツマイモタロのような栄養繁殖作物が対象となっている。

8.農業における文化生態系の保全

1).食卓における中南米由来の農産物の恩恵
重複するが、中米および南米はバビロフ(Vavilov)によって、作物の重要な起源地の2つとされ、大航海時代を境にして、これらの地域由来のトウモロコシ、ジャガイモ、トマト、ピーマン、トウガラシ、カカオ、サヤインゲン等の作物がヨーロッパを経由して、全世界に伝播していった。

このような作物が、私たちの食卓に存在することは、非常にありがたいことであり、例えば、新大陸が発見される以前は、イタリアにはトマトは存在していなかった。このトマトの恩恵によって、現在のイタリア料理のレシピが存在していると解釈できよう。これら作物にとっては、これら起源地が最適環境であり、消滅することはなかったのである。
2).低投入持続型農業の長短
地球の人口増大に応じて、食糧の増産を目指すことも必須であり、この場合、高収量性品種の採用の他、大量の水(雨水、河川水および地下水等)、化学肥料や農薬も必須である。これが『近代農法≒緑の革命』というもので、水資源の枯渇、土壌資源の劣化および農民の教育問題等も含めて、貧富の格差を生む結果にもなってしまった。

それに対して、貧困層や小農には、在来種に目を向けたり、低投入持続型農業が注目され、収量はそこそこでいいから、農業を持続させるということが叫ばれるようになってきた。ここには、ある種の病害虫による汚染を防ぐため、リスク分散戦略として、多様な品種(改良品種や在来種)を同時栽培し、最小限の投入資材で、施肥や土壌改良を実践するものである。

しかし、実際問題、LISAは貧困層に対する農業技術協力であり、その地域の栽培作物種ならびに文化生態系の保全を目的としている。

9.パナマの貧困地方小農による陸稲栽培事例

1).貧困小農による陸稲栽培
筆者は2002年9月下旬-12月下旬までの3ヶ月間、JICAの制度を活用して、再び、IDIAPのベラグアス県にあるカラバシト実験圃場で活動する機会に恵まれた[9]。ここでは、同県の同圃場勤務職員の協力により、2002年12月当時の聞き取り調査結果であるが、同氏宅近郊の小農によるイネ在来品種を活用した文化生態系保全型農業の一例である。

大部分の小農は、所有土地面積の内で、家に近い区域0.5ha-1haにおいて、自給用の作物栽培、遠方においては粗放な放牧を行っていた。この他、個人ではなく、営農集団的自給農業を行っているグループもあり、小農20人が一つのグループを形成して、20haの土地において共同で陸稲栽培(イネはインディカ種で長粒米)を行っており、ちょうど収穫をしていた(写真6)。同写真右を見てもわかるように、熱帯アジア等も含めて共通事項であるが、わが国の短粒米(ジャポニカ種)と違って、鎌でイネわらも一緒に刈るイネ刈りではなく、穂先のみを刈るやり方である。

彼らは、陸稲栽培において、化学肥料の施用、施薬等は行わず、雑草や作物残渣の焼却によって得られる灰のみを肥料養分として提供していた。そして、農作業はマチェテによる手作業であった。


写真6 カラバシト地区近郊の小農グループによる陸稲収穫  穂先を刈るイネ刈り, 2002


写真7 採用イネ在来品種(左:San Andrés、右:Gallote Chilibre), 2002

2).イネ在来種を使用
さらに、採用品種は在来種(San Andrésを採用している小農が多かった)であり、高収量性の改良品種の生育期間が100日-120日程度であるのに対して、140日以上も要するものであった。一方、改良品種は低稈長(60cm-75cm)かつ高籾収量(IDIAPにおける過去の研究結果より、劣悪酸性土壌の改良・肥培管理によるが3000kg/ha-4500kg/ha)であるのに対して、在来種は160cm以上もあり、San Andrésに関しては倒伏性品種[10]であった。また、籾収量は910kg/ha-1365kg/ha程度と低いものであるが、小農にとっては、在来種の方が穂刈りしやすいということであった(同行職員の私信)。

写真7右は、別の陸稲の在来種(品種Gallote Chilibre)であるが、同行職員によると、これの栽培においては、化成肥料12-24-12を元肥として45.5kg/ha、尿素を追肥として45.5kg/ha使用した場合、2000kg/haの籾収量を得ている小農も存在しているが、自給用であり、市販していないとのことであった。なお、同品種は抵倒伏性および抵いもち病性品種である。また、特徴的なことは、同写真を見てもわかるように穂は黒色であった。
3).収穫物および種籾の保存
訪問小農のほとんどが、小屋を設け、収穫物の備蓄を行っていた。これは雨から収穫物を守るためであるという(写真8)。さらに、小農の家族の許可を得た形で、自宅内の屋根裏には、次作のための種籾(穂先のみ刈ったイネ)を保存していた(写真9)。

写真8 カラバシト地区近郊の小農による収穫穀物の保存小屋, 2002


写真9 カラバシト地区近郊の小農による収穫籾(種子用)の屋根裏保存光景, 2002
4).乾季の仕事
乾季は小農のほとんどが、インゲンマメやキャッサバを栽培し、さらに、サトウキビの収穫のため、製糖会社に出稼ぎにでる(1994年当時はUS$5/dayであったが、2002年当時はUS$6/dayであった)。土日が休みなので、月20回、つまり月収US$100-US$120となる。この製糖会社での出稼ぎ期間は、12-3月までの4ヶ月間であるので、US$400-US$480稼ぐことになる。これが、小農の年間の賃労働収入である。


写真10 粗放放牧光景, 2002
5).小農の家族構成と教育
現在、小農一人当たりの子供数は5人-6人(平均)で、ほとんどの小農が初等教育(義務教育)のみであり、中等教育を受けていない。実際、カラバシト近郊の小学校(就業年限6年)の教員によると、7人の6年生の内、2人は中等教育(昼間部)を受けるための奨学金を申請、残りは夜間部の中等教育を受けるという。その場合、中等教育(昼間部)の就業年限が6年(わが国の中学の他、高校も含む)であるのに対して、夜間部は9年であった。

一般的に小農の収入は、乾季における製糖工場への出稼ぎと、粗放な放牧(肥育牛0.5頭/ha-1頭/ha)を行っている場合(写真10)、牛肉を販売する(4歳の肉牛1頭当たり約135kgの肉が得られ、US$2.2/kgで近隣の小農に市販するという)ことで得ている。小農にもよるが、牛の屠殺数/年は1頭-2頭であることが多く、これらを売って得る稼ぎの一部が、子供の教育費となり、鉛筆、ノート、本等の購入資金となる。

10.企業型陸稲栽培事例

小農による文化生態系保全と同時に、特に、新大陸における企業型の大規模食糧(および食料)生産は、農業経営という面では商売であるが、実際、地球規模での人口増大に対する食糧(料)の確保にとっては大きな役割を担っている部分は確かにある。しかしながら、環境異変や標的病害虫による汚染等のリスクもあり、その在り方の見直しが必要な部分もある。写真11にパナマのベラグアス県ソナ(Soná)地区の劣悪酸性土壌での企業型栽培陸稲の収穫光景を示す。ここの大農場主(JOCV時代のIDIAP土壌研究室長で、「この土地はレンタルである」と筆者に報じた)も、直播播種、窒素の追肥、施薬および収穫等に当たっては、アルバイトとして近隣の小農を雇うということであるが、これも小農にとっては重要な現金収入源である。詳細は割愛するが、小農による文化生態系の保全と大規模食糧生産の長短の選別やこれらを効率的に調和した形の農業やその若手教育(土壌の合理的管理の実施も含む)が急がれると考えている。


写真11 ベラグアス県ソナ地区での陸稲収穫光景[11], 2001

11.おわりに(アグロフォレストリーへつづく)

JOCV時代、土壌改良による食糧作物の増収こそ、貧困問題解決に直結するものと信じていた。もちろん、ここには、適作物または適品種の選択による低投入持続型の概念は必須である。最終的には、経営評価も行い、生産者にとって収益向上に繋がるものでなければ、その農法は定着・持続しない。特に、小農に対する技術協力を考える場合、文化生態系を保全する形でなければならないことも当然である。

ここに、あらたに学ぶことになった植物遺伝資源の保全においては、本来、遺伝育種学の領域であり、在来種等の持つ標的病害虫耐性遺伝子を活用して、交雑育種等を通じて、新品種を育成していくことに焦点が当たっている。しかしながら、筆者は別視点から、実際の農業生産におけるリスク分散として、遺伝的組成の違う品種を幾つか同時栽培+土壌の合理的肥培管理に重点を置いている(これも、低投入持続型農業へ発展していくと信じている)。

他方、前記した近代農業の役割は、人口増大に対する食糧(料)の増産であり、これも重要な部分をなしている。ここで、小農と企業型農業の違いであるが、両者は単純に面積の大小のみならず、教育水準の格差が挙げられ、前者では、基本的に改良技術の導入が難しいということである。1990年代後半、JICAでは『住民参加型』と称して、直接、農業普及機関や生産者に指導することに重点を置いてきたが[12]、これは基本的に失敗に終わったといえる。

以上のことから、小農による文化生態系の保全型小規模農業と近代農法(企業型農牧業等)による食糧(料)増産という両者をバランスよく共有させることは、現在においても大難問であり、筆者にとっても新たな課題となっている。

しかし、次のエッセイで報告する、コスタリカとケニアにおける『アグロフォレストリー』の事例を学び、それを隣国パナマで実践したことで[13]、一つの方向性が見えてきたのである。

【参考文献】

  • CATIE/GTZ. 1979. Los recursos genéticos de las plantas cultivadas de América Central. 15-20.
  • https://es.wikipedia.org/wiki/Centro_Agron%C3%B3mico_Tropical_de_Investigaci%C3%B3n_y_Ense%C3%B1anza
  • Chinchilla, R. M., A. V. Morera. y A. R. Ibarra. 2007. El mapa de suelos de Costa Rica con la leyenda WRB. https://www.mag.go.cr/bibliotecavirtual/av-1630.pdf
  • ETV特集 (NHK).  食糧に未来はあるか:第1回 農業近代化で失われたもの.
  • ETV特集 (NHK).  食糧に未来はあるか:第2回 遺伝子多様性をとりもどせ.
  • 菊池文雄・坂口 進・冨田健太郎. 1996. コスタリカおよびエクアドルの植物遺伝資源に関する情報. 翻訳叢書 第44巻. (社)国際農林業協力協会. 24 p.
  • 菊池卓郎 農学の野外科学的方法.「役に立つ」研究とは何か. 農山漁村文化協会. 東京. 175 p.
  • 冨田健太郎. 2025. 中南米古代文明とトウモロコシ:農学者の視点から遺跡を訪ねて https://latin-america.jp/archives/66846

[1] 配属先は、パナマ農牧研究所(Instituto de Investigación Agropecuaria de Panamá: IDIAP)土壌研究室であり、エレーラ(Herrera)県ディビサ(Divisa)地区であり、同研究所の管轄実験圃場は、ベラグアス県(Veraguas)県カラバシト(Calabacito)実験圃場であり、両地域で3年1ヶ月間(1992年-95年)活動していた。

 

[2] バビロフ(Nikolai Ivanovich Vavilov):ロシア(旧ソビエト連邦)の植物学者

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%83%95

[3] 現在は、公益社団法人 国際農林業協働協会(Japan Association for International Cooperation of Agriculture and Forestry: JAICAF)となった。

[4] ウォルター・ローリー:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC

[5] IRRI:フィリピンのロス・バニョス(Los Baños)に本部を有する

[6] CIMMYT:メキシコのメキシコ州エル・バタン(El Batan)地区に本部を有する

[7] CIAT:コロンビアのバジェ・デル・カウカ県のパルミーラ(Palmira)地区に本部を有する(2001年2月、コロンビアJICA短期専門家時代に訪問経験ありで、さらに、ここにCIMMYTの支所もあった)。なお、ページ数の都合により、CIAT訪問時の写真は割愛する。

[8] 詳細は割愛するが、米国ジョン・F・ケネディー(John. F. Kennedy)大統領時代(1960年代)冷戦構造が緊迫した時期でもあり、米国はアジアの共産化を恐れていた。それを阻止するため、ウォルト・ロストウ(Walt Rostow)(米国の経済学者:詳細はWikipedia等で)は、『アジアを飢餓から救う』をスローガンとして、発展途上国において、近代農業技術の導入を提案し、フィリピンにIRRIが設けられた。このIRRIの他、CIMMYTやCIATの設立の背景は、キューバ革命(1959)やキューバ危機(1962)の影響であったと推察している。

[9] 実際、前記JOCV任期途中およびその後の1994年-2002年(今回の派遣も含む)まで、(社)協力隊を育てる会を通じて、三菱銀行国際財団から2回にわたって獲得した助成金を活用して、植林や低環境負荷牧畜林生産等に関する研究にも関与することができた(JOCVとして3年目およびそれ以降の継続的な研究活動)。その最後のお礼奉公として、JICAの制度(業務費使用可)が活用できた(詳細な活動内容は割愛するが、次のエッセイにおいて、アグロフォレストリーに関する研究概要を紹介する)。

[10] 筆者は2000年8月、西アフリカのセネガルを訪問した経験を有するが、同国周辺地帯はアフリカイネ (Oryza glaberrima)の起源地である。アジアイネ (Oryza sativa)との典型的な違いは、前者は穂が小さく、後者よりも低収量である。しかし、前者は、日中50℃近い気温かつ雨季が3ヶ月程度という乾燥条件にあっても、イネ全体が地表をマルチングするという特性からも、後者よりも耐雑草性とされている。写真7のイネ在来種San Andrésは、アフリカイネの遺伝子を引き継いでいる在来種ではないか?と推察した。セネガル訪問・活動1ヶ月間において、同国試験場でのイネ栽培試験現場も視察したが、アジアイネがメインとなっており、残念ながら、アフリカイネを観察することは不可であった。筆者が同国訪問以降、アフリカイネとアジアイネを交雑して育成されたのがネリカ米であり、その普及が進んでいるとのことである(詳細は論点から逸れるので割愛)。

[11] 収穫籾を購入業者(中国移民だった)は、籾の水分含有率を測定した。水分含有率14%の子実が安定であり、野外フィールド実験では、その時の状態に換算計算して、子実収量(kg/ha)を算出する。収穫間近では約20%であり。この含有率が高いと単価が下がってしまう。それゆえ、十分に籾を乾燥してから出荷することが望ましい(14%が単価最高だと思う)。

[12] 1999年6月頃、スリランカにJICA短期専門家として赴任し、ガンパハ農業開発協力において、ODAによって既に設置された土壌分析の指導(分光光度計の使用方法も含む)に赴いた。プロジェクト終了間近の末端の緊急補完協力の形であった。同国農業普及教育機関であったが、土壌分析を指導するスタッフは、女性事務員(JICAの費用で日本研修経験あり?)と女性掃除婦の2名であり、とても教育技術が浸透するとは思わなかった(前者に化学実験や分析機器の教育、後者には実験器具の洗い物を依頼)。推測であるが、プロジェクトが終了すれば、大量の未開封のガロン瓶の濃硫酸試薬等も含めて、設置土壌分析室は稼働せず、放置または単なる物置になってしまっただろう。この経験も、筆者の博士(農学)学位論文第1章において、問題意識として捉え、基本は試験場や大学に対して、適正技術理解の下、共生しながら若手技術者や学生らを養成していくことにある。そして、彼らから、農業普及機関のスタッフと連携して、小農へ伝授していくという構図である(詳細は割愛)。

[13] パナマで実践した事例は、コスタリカやケニアの事例の直接移転ではなく、その地勢(海抜、土壌環境および気候条件)に応じた別事例である。