執筆者:硯田一弘(アディルザス代表取締役)
パラグアイは大豆・トウモロコシ・小麦・コメ等の穀物生産が盛んな国であると同時に牛肉・鶏肉・豚肉などの肉類の生産も盛んであることはこれまでもお伝えしてきました。
その中で、最も産業界で影響力を持つのは牧畜産業なのですが、理由は分かりますか?
牛を放牧で育てる場合、一頭につき約1ヘクタール(100m x 100m)の牧草地が必要と言われています。パラグアイで肥育されている肉牛はおよそ1400万頭、ということは1400万ヘクタールの放牧地という計算になります。パラグアイの総面積が41万㎢=4100万ヘクタールですから、単純計算すると国土面積の三分の一が放牧に使われていて、それらの殆どが個人所有の土地であるという訳で、牧場オーナー達が国家資産の多くを所有している強力な資産家であることが理解できます。

国家の総輸出額101億ドル=約1.5兆円の約20%(約2000億円)が肉類の輸出によるものです。更に穀物や油脂・飼料等の加工品も含めた食品関連では輸出金額の三分の二=約1兆円となりますから、こういう数字をみると農業が如何に重要な産業であるか理解できます。
因みに、日本の2023年度の総輸出金額は101兆円なので、輸出金額そのものは日本の67分の1という数字に留まりますが、日本は機械類の輸出で稼いでいるものの、食料品に限ると総額の1.2%で、約1.2兆円。高価な付加価値を付けた日本の食品と、未加工な素材で構成されるパラグアイの農産品の輸出金額がほぼ同額ということは、パラグアイに食品加工産業も導入すれば如何に大きな経済的付加価値がもたらされるか容易に想像できるでしょう。

https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2021/2021honbun/i1240000.html
今日はLa Nacion紙に出てきた今後拡大が期待できる牛の品種の紹介がありましたので、そこから言葉を選びました。
この記事”Raza bovina Bonsmara evoluciona en el país con un hato de 15.000 cabezas”(ボンスマラ種の牛は15千頭の群れに発展)では、暑さに強い品種であるボンスマラ種の牛の生育数が伸びているとのこと。
パラグアイで肥育されている主要な品種としては聞きなれない名前ですが、この記事を読む限り暑さに強いこの品種は、今後大きな発展が期待されるようです。
https://www.valoragro.com.py/ganaderia/las-10-mejores-razas-de-ganado-de-carne/
品種改良が行われた南アフリカからアルゼンチンに導入されたのが1995年、そこからパラグアイに入り大きな成長を遂げている訳です。
https://bonsmara.org.ar/historia-y-caracteristicas/
牛の品種であるrazaという単語に関しては、丁度3年前の拙稿で御紹介していますので、改めて御紹介します。
https://latin-america.jp/archives/50992
先に開催されたAPECやG20、COP29等の国際会議で、いずれも主要テーマとなったのは気候変動対策ですが、暑さや乾燥に強い品種で生き残りを図るパラグアイの牧畜産業の動きにも引き続きご注目ください。
今週のビッグニュースは、金曜日にウルグアイのモンテビデオで開催された南米南部経済共同体メルコスルと、欧州連合EUとの間で、自由貿易協定に関する取り決めが合意に達した、というものです。

欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長を中央に、合意を喜ぶミレイ・アルゼンチン、ポウ・ウルグアイ、ルラ・ブラジル、ペニャ・パラグアイの各大統領。

この合意が批准されるためには、EU各国の承認を取り付ける必要がありますが、実際には安価なメルコスル産の農産物が域内農業を破壊する、との懸念を持つフランス等の農業国が合意に消極的な姿勢を示していますので、FTAが実際に発効するまでには、まだ時間がかかると思われます。
とは言え、自国第一を優先する次期米国政権の登場を前に、欧州と南米とが協力体制を整える準備ができたことは、米国や中国の暴走を食い止める抑止力としての効果も期待できそうです。
明日12月8日は、パラグアイ最大の宗教行事であるCaacupe巡礼の日です。
これは、アスンシオン近郊のカアクペという街にあるカトリック寺院に向けて国中から徒歩で巡礼に出向くことで聖母マリアの御利益が得られるという信仰に基づく国民的行事で、人口700万人のパラグアイ人の7人に一人に相当する100万人が参加するとも報じられています。
生憎の雨天にもかかわらず大聖堂を目指してあるく巡礼者の姿には、宗教者だけが持つ純粋さが顕れていて感動を覚えます。
https://www.youtube.com/watch?v=v4zn4U60W68
巡礼の皆さんが無事に聖地に達することを、祈りながら週末を過ごします。
https://www.youtube.com/watch?v=Ie7BTzF76Cg
今週はベネズエラの首都カラカスでALBA(la Alianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra América=米州ボリバル同盟)の首脳会議が開催されました。

https://www.nodal.am/2024/12/jefes-de-estado-participaron-de-la-xxiv-cumbre-del-alba-tcp/
故チャベス大統領が提唱したALBAに関しましては、2009年4月にもベネズエラの言葉としてご紹介しましたが、この時の名称はAlternativa Bolivariana de las Americas=米州ボリバル代替構想というグループ名称でしたが、反米社会主義というベネズエラの主張に呼応するかどうかで紆余曲折があり、現在では冒頭の様な名称になっていて、加盟国はキューバ・ニカラグア他、カリブ海の島嶼国で、産油国ベネズエラから安価な燃料を得る目的で参加している国々が殆どであり、その意味ではベネズエラ・キューバ・ニカラグア同盟と言っても過言ではないグループと定義付けられます。

先週、シリアのアサド政権が倒れたことで、今週開催されたALBAサミットの首脳たちが恐れおののいているだろう、という記事がアルゼンチンのLa Nacion紙に掲載されています。
記事によると、ALBA主要国であるベネズエラ・キューバ・ニカラグアは何れもロシアの支援を受けて強権的独裁政治を維持している国々であり、マドゥロ・オルテガ・ディアスカネルの三氏は、国を追われたアサド氏の次が自分の番ではないか、との懸念を抱いているだろう、としています。
シリアのアサド政権崩壊については、色々な憶測が飛んでいますが、実際にロシアに亡命したのは事実の様ですし、ロシアの後ろ盾が消えたことで中東情勢が混とんとするとされているという観方が大勢を占めていると思われます。その意味で、次の動きとしてALBA加盟国での動静が注視されるところです。
今週のALBA会議に先駆けて、米国がベネズエラ沖にある小国トリニダード・トバゴに米軍を派遣できるようにする二国間合意に署名したことが報じられました。
記事にもある通り、ベネズエラの鼻先にあるトリニダードで米軍が行動できるようになることは、1958年のキューバ危機で米国が感じた危機感よりも遥かに高いレベルの恐怖をベネズエラに与えていると思われます。
逆の見方をすれば、24年の時を経て、漸くベネズエラの民主主義に夜明けの兆候が訪れたとも言えるこの動き、日本では全く報道されていませんが、是非ご注目ください。
二年前に引っ越したばかりですが、今週金曜日は社会人になって17回目の引越をしました。この二年間住んでいたのはParana Country Clubというパラグアイ屈指の高級クラブの中のゴルフ場18番Hの目の前の一軒家。周囲の邸宅と比べると小ぶりながら、それでも二階建てで寝室が4室ある家でしたので、オンボロながら、かなりゆったり生活していました。この家の大家さんが「息子一家がブラジルから戻ってきて住むことになるので、年末に退去して欲しい」と言われたのが、10月の一時帰国前日。
慌てて周辺の貸家を探し、見つけたのが同じカントリークラブ地域の商業エリアに出来たばかりの新築アパート(日本ではマンションと言いますが、マンションというのはカントリークラブの中Residene Areaにあるような豪邸の事を言います)で、面積はこれまで20年以上の南米生活の中で最狭の約113㎡。ん?それなら十分広いだろう!と言われそうですが、米州ではバルコニー等の付帯面積も含めますので、日本式で換算すると90㎡強という感じ。それでも日本の感覚で言えば広めですが、ここにシャワールーム+トイレが二か所、客間トイレが一か所あるので、実質的にはかなりコンパクトな住まいです。
アスンシオンのアパートでも200㎡はありましたし、一昨日まで居た一軒家は土地面積で800㎡、建物面積も300㎡程度でしたので、一気に居住面積が三分の一になったので、新居は完全に箱屋敷状態です。
で、どんな感じかというと、今日のLa Nacion紙でみつけた記事が雰囲気を伝えています。https://www.lanacion.com.py/pais/2024/12/22/paraguay-en-la-historia-se-cumplen-32-anos-del-hallazgo-del-archivo-del-terror/
この記事は、1954年から89年までの35年間にわたって独裁政権を維持したストロエスネル政権の負の歴史にまつわる記録書類が1992年に大量に発見されたというもの。
こちらはそれには敵いませんが、初めての南米=ベネズエラ駐在が1988年でしたから、それからやはり36年が経過、南米仕様の生活が染みついてしまった結果、いろいろと溜まってしまったモノに囲まれて生活している訳です。

ちなみに、パラグアイでマンションというのは↑こういう御宅。これはストロエスネル大統領をクーデターで放逐したストロエスネル氏娘婿のロドリゲス将軍が済んでいた家です。
と言っても、冒頭書いたように、社会人になって17回も引越をしていますから、2~3年に一回は引越を繰り返している計算で、それなりに片付けもしてきたつもりでしたが、年明けには65回目の誕生日を迎えますから、人生で蓄積したアーカイブもそれなりに膨張すると自分自身に言い訳しています。
今回は片付けで見つけた古い写真や手紙の類はスマホで写真に撮って、デジタル・アーカイブにして、現物は処分することにしました。と言っても、思い入れのあるアルバムや書籍・モノは中々捨てられないもの。日本も大掃除の時期ですから、同じようにデジタル化されてる方も多いと思いますが、デジタルサイネージも膨張し続けていますから、いつかデータのビッグバンがやってくるかも知れません。
さて、いよいよ今週はクリスマス、カトリック主体の南米では一年で一番装飾が派手になる季節です。パラグアイ・アスンシオンの大統領府も完璧な装飾が完成しています。

今年も残すところ一週間、忙しくも充実した年末をお過ごしください。
Feliz Navidad! Merry Christmas!! Feliz Natal!!!
年末休暇を利用して、次男が住んでいるカナダのMontréalに来ています。

人口規模180万人、カナダ第二の都市であるこの街の日本語での表記はモントリオールですが、フランス語が第一公用語で、人口の8割がフランス語を話すケベック州の街での地元風呼称はモントレアル。日本の室町時代にあたる1535年に欧州人が初めて踏み込んで、日本の江戸時代初期にフランスの植民地として開発され、1763年に英領となって、明治以前の1844年に英領カナダの首都となったものの、1857年にオタワが英連邦カナダの首都とされたので、最大都市でありながら首都ではない、というブラジル・サンパウロの様な位置付けの街として発展してきたようです。

真冬の今は、この写真のようなイメージで、これはMont-Royal(王の山)という標高233mの丘から撮影されたもので、この「王の山」こそが、街の名前であるMontréalの語源な訳です。しかし、フランス語でMont-Royalモントロワイヤル、英語ではロイヤルマウンテンなのに、何でMontrealってスペイン語やポルトガル語風の名前が定着したのか?は諸説あるようですが、現場に居るとモントレアルという呼称の方がしっくりきます。
朝晩の戸外の温度は摂氏マイナス15℃前後。日中でもマイナス気温なので、道行く人々は皆毛糸の帽子などで頭を覆っています。でないと耳が切れそうに寒い。酷暑のパラグアイから極寒のカナダに来ると、2時間という時差もあって体調を合わせるのに些か苦労します。
いよいよ今年も最後の週末。来週には新しい年が始まります。
その新しい年は2025年。つまり2000年になってから、四半世紀Un cuarto de sigroが経過した訳です。25年前の今頃である1999年12月末は、世界中でコンピューターが誤作動を起こすという問題を抱えて、最後の最後まで職場で古いデータのバックアップをとっていた記憶があります。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/whatsnew/y2000/y2000-2-9905.html
当時の記憶媒体は今と違ってまだフロッピーディスクが主流で、光学記録ディスクであるCDなどはオフィス業務では使われておらず、当時は輸入業務を担当していたので、海外から日本に向かう本船のデータや、過去の顧客向け販売実績や今後の予定などのデータが突然消えた場合に備えて、紙に印刷したり、データの年代を1999年と四桁に換える等の作業を行ったように記憶しますが、その記憶も25年も経過すると、正確ではなくなっています。https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/c2000/tp0305-1_14.html
当時日本では1997年に発生したアジア通貨危機がようやく終息したのが1999年ですが、実は南米ではブラジルで1999年1月に通過レアルの切り下げが発生、これに影響を受けたパラグアイでは大手銀行の倒産が相次ぎ、大きな金融危機に見舞われた年だった訳です。
https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/users/nishijima/CurrencyCrisesLatinAmeria.pdf
こうした危機を乗り越えて、世界中が2000年を迎えた訳ですが、その翌年9月には世界を震撼させる米国での同時テロが発生、その後も巨大エネルギー企業エンロン社の倒産や、2008年のリーマンショックという世界レベルでの経済危機が何度も繰り返され、その度に多くの人達が様々な影響を受けて危機に対応してきました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB159YE0V10C23A9000000/
その意味で、来る新年以降も、これまで先送りにされた色々な問題が顕在化して、大きな苦難となることが懸念されますが、そうした苦難を乗り越える知恵と経験を持ちあわせているのも人間の力です。25年前と比べて格段に進歩したコンピュータ技術も活用して、新しい時代に踏み出して行くことにしましょう。
かつては英国王の所有物とされたカナダも、僅か42年前の1982年に完全な独立国家となった訳で、royalの族国からreal(現実の)国になったもの。こうした歴史を振り返りながら、これからの四半世紀の世界の動きに思いを巡らせるのも、お正月の過ごし方の一つになるかも知れません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
では、良い新年をお迎えください。
以 上