執筆者:冨田 健太郎(信州大学 工学部内 アクア・リジェネレーション機構)
1492年、クリストファー・コロンブス(1451年-1506年)によって、新大陸が発見され、その後、バスコ・ヌーニェス・バルボア(1475年-1519年)(写真1)がパナマ地峡に到着し、大西洋から太平洋への横断に成功した(1513年)。このことは、以前、同協会のエッセイとして、『パナマ運河と私たちの暮らしとの関係性』においても報じた(参考文献のところ参照)。パナマ・シティー(Panama City(スペイン語:Ciudad de Panamá)においては、バルボアの銅像が建てられている。現地通貨の名称にもバルボアの名が残り、通常は米ドル(バルボア=ドル)が流通している[1]。

写真1 バルボア銅像, 2007
それゆえ、太平洋側のパナマ・シティーと大西洋側のコロン県のコロン(Colón)市までの地峡縦断交通路は、重要な位置にあるといえる。
もちろん、そういう意味では、海上交通としての『パナマ運河』は重要な位置にあるわけであるが、本稿ではパナマ運河についてではなく、この陸上交通に焦点を当てることとする。
パナマでの初のJICAシニア海外協力隊としての任期満了間近の2009年3月下旬に、観光目的として、パナマ運河鉄道に乗車して、コロン駅を経て、パナマ運河の大西洋側のガトゥン(Gatún)閘門およびポルトベロの遺跡を訪問した[2](前記、エッセイに記載)。
本稿では、最終的に、このパナマ運河鉄道(旅客用客車)に乗車したときの始発駅のパナマ・シティーからコロン駅までの快走動画をyou tubeにもアップし、そのURLを教示するものである(動画撮影の注意点も列挙する)。その前に、歴史的な背景からの説明を加えていきたい。
1).はじめに
写真2にパナマ運河周辺のマップを示す。正式には第三閘門の配置図を示したものであるが、2009年時はまだ開通していなかったのは当然である[3]。この運河に沿って、太平洋側と大西洋(カリブ海)側において、単線での線路を引いた形でパナマ運河鉄道(パナマ地峡鉄道ともいう)が運行している(レール幅は日本の新幹線と同じ標準軌で1435mm)。

写真2 パナマ運河の第三閘門の配置写真, 2009
2).鉄道の特徴
3).パナマ鉄道の超簡潔史
4).太平洋からカリブ海へ1時間(乗車動画の見どころ)
5).現在の運用と役割:貨物中心だが観光路線としても魅力
6).パナマを理解するには運河だけでは足りない
パナマを理解するのであれば、パナマ運河だけでは足りない。この場合、通常、太平洋側のミラフローレス(Miraflores)閘門を指すと思われるが、確かに観光地としても有名であり、場所的にも訪問しやすい。しかしながら、カリブ海側のガトゥン閘門を訪問したいのであれば、運河鉄道に乗車して、コロン駅まで行く必要があるのは当然であり、陸上での鉄道旅行を果たしてこそ、2ヵ所のパナマ運河訪問が可で、歴史的には、バルボアの足取りが想像できるのではないか?と思っている。そこで、本稿の特徴は以下の2点を強調したい。
なお、筆者もパナマ運河2ヵ所を訪問し、長時間による船舶通過動画を収めているが[4]、運河については、最近、他者による高画質での動画アップも多数散見されるので、ここでは扱わない。
1).復帰エリアを訪問して感じたこと
パナマ運河鉄道であるが、筆者は旅客よりも貨物としての輸送が最重要事項であると考えている。実際、1999年12月31日に、新パナマ運河条約(カーター&トリホス協定)より、米国が同運河をパナマに変換した。筆者が青年海外協力隊員時代は、その前の時代なのだから、パナマ運河の所有権は米国にあり、運河地帯の関係米国人(グリンゴ―)の駐在域でもあった。ところが、パナマに返還後、前記駐在域は復帰エリア(Áreas Revertidas)と称し、パナマ関係省庁がそこに移動した。そして、筆者の配属先であったパナマ農牧研究所のメイン事務所も、その中のクレイトン(Clayton)地区[5]に移動した。2002年当時(JICA専門家育成研究制度を活用:詳細は割愛)、そこを頻繁に訪問した経験があるが、公道を挟んで、パナマ運河鉄道の路線が平行線状態であり、頻繁に貨物列車が走行していたことを記憶している。ちなみに、2009年当時、旅客用としては1日1往復であった。
2).貨物輸送の役割
写真3にクレイトン地区で撮影したディーゼル機関車けん引による貨物輸送の光景を示す[6]。前記エッセイでの執筆事項と重複するが、大型貨物船等の船舶を軽くするため、太平洋側またはカリブ海側の港でコンテナ等の荷積みを一度下して、鉄道輸送に切り替えるのである。船舶を軽くなることで、運河通航において節水に大きく貢献するということである[7]。
それゆえ、鉄道輸送が、ガトゥン湖の水資源(閘門式による運河稼働ならびにパナマ・シティー等の住民に対する飲料水源)を守ることも含めて、重要な手段であることが理解できよう。しかしながら、デメリットもあり、太平洋側とカリブ海側の両地域での船舶のコンテナ等の再荷積みする必要があるため、労力とそれに伴う人件費が増すことである。

写真3 パナマ・シティー付近のパナマ鉄道(貨物輸送の光景), 2002
1).YouTube URL
本稿の肝心な事項は、1.のパナマ運河鉄道(旅客用)の快走動画である。2009年3月当時なので、現在はその周りの景色も大いに変化しているかもしれない。しかしながら、これはこれで当時の貴重な動画でもある。 なお、2.の貨物走行写真は2007年12月当時である。
https://www.youtube.com/watch?v=mFbmQ_zdkEU
https://www.youtube.com/watch?v=e-uXpoP4-9k
1時間と長いが、この動画によって、遠方からのパナマ運河のミラフローレス閘門、運河反対側のクレイトンの光景も一瞬であるが見ることができる。それと、ガトゥン湖や森林伐採地区も散見され、環境破壊の実情を見せられた感じでもあった。
2).動画撮影の注意点
本動画撮影に限ったことではないが、やはり、途上国における鉄道乗車・撮影等には多くの注意点があるので、最重要事項として、そのことをきちんと列挙しておきたいと思う。
1).旅客用車両
最後に、パナマ運河鉄道の車両や主な機関車等を紹介する。この背景は、他の途上国のおんぼろディーゼル機関車や車両とは異なり、塗装も統一され、かつ落書きもなく、先進国の車両のように落ち着いた雰囲気を感じたからである。

写真4 パナマ・シティー駅に停車中の旅客用運河鉄道およびパナマ運河鉄道会社のロゴ(右上), 2009
もちろん、かつて、米国で使用されていた、同国製の機関車や客車であり、アムトラック(Amtrak)[9]で使用された車両と類似であった(筆者の見解より)。その後、米国で現役引退となった中古タイプが、パナマに移動・販売され、第二の活躍の場となったのであろう。
パナマ運河返還後であるかは定かではないが(運河返還前のパナマ運河鉄道を見たことがない)、新塗装で綺麗に整備されたのであろうと思っている。
以下、写真で紹介していく事項は、動画をみればもっと理解できるであろう。さて、写真4にパナマ・シティー駅に停車中の旅客用車両8両の全景を示す。遠方からの撮影であるが、コロン駅に向うにあたっては、左から3両目の二階展望室を予約した。しかし、車窓が汚く、2両目の展望デッキで動画撮影を実施したのである(動画の最初の部分でもわかるだろう)。また、同写真の右上には、パナマ運河鉄道会社のLogoも示しておく。この車両は、車両前後にディーゼル機関車(1両目と8両目)が配置するプッシュフル方式であった。

写真5 早朝のパナマ・シティー駅の入り口, 2009
写真5はパナマ・シティー駅の入り口でこの中に入って、旅行会社で予約購入したチケットの検札を行った。そして、写真6がチケット購入後、駅の入っての撮影であるが、プッシュフル式機関車の後方部分は駅から外れている状態で停車していた(乗客は、この機関車には乗らない)。
写真7は駅のプラットホームであるが、外国人観光客を迎える言葉として、『ようこそ』看板が印象的であった。韓国のハングル、フランス語、アラビア語か?不明であるが、いろいろな国の単語があった。
余談であるが、スペイン語の『Bienvenido』が『ようこそ』に当たる言葉であるが、アルファベットで記すと、『Youkoso』になると思う。実は、パナマ人は『Yo』を『ヨ』と発音できず、『ジョ』になってしまうのである。ちなみに、エクアドル人は『ヨ』と発音できる。そのため、筆者の同僚パナマ人も含めて、『ジョウコソ』となってしまうのである。

写真6 駅の端から出ているディーゼル機関車(プッシュフル式の後方), 2009

写真7 駅のプラットホームにある多言語での『ようこそ』, 2009
別事例としては、日本文化紹介における茶の湯(Chanoyu)である。こうなると、パナマ人は『チャノジュ』である。そこで、アルファベットを変えないといけない。『yo』と『jo』、『yu』と『ju』に変えることで(スペイン語のJ:ホタ)、パナマ人は『ようこそ』や『ちゃのゆ』と発音できるのである。これも、同じラテン諸国の中での文化習慣の違いでもある[10]。
写真8が車内に入っての展望室で、この二階の座席を予約していた。写真では分かりづらいかもしれないが、前記したように車窓が曇っており、とても動画撮影できる状態ではなかった。同じく展望室の下に、コーヒーやスナック類等の売店があった。

写真8 車内の中の展望室, 2009

写真9 車内にあった展望デッキ, 2009
写真9に筆者は実際に動画撮影を実施した展望デッキを示す。左が走行方向、右が反対方向からの撮影であり、車両は同一である。ここは、写真4の車両全体においては4両目の末端と5両目の先端である。とにかく、「高速走行する車両が、このような場所を設けていいのか?」「事故でも起きないか?」と疑問に思ったが(日本だったらアウト!!!)、ここはパナマらしいというか? 米国製の車両であれば、米国らしいのかもしれない。いずれにせよ、動画撮影に当たっては細心の注意を払って行った。
写真10は女性の車掌さんが出迎えてくれた光景である。写真11は3両目の展望車と4両目の車両であるが、4両目のところで、スペイン語の『Bienvenido』と英語の『Welcome』の矢印表示看板があり(日本語がなく残念^^)、これ以上先のプラットホームには立ち入り禁止であった。したがって、2両目(普通車)と3両目の展望車は、この4号車の扉から入って、前進しろ!というものであった。

写真10 女性の車掌さんが出迎えてくれた, 2009

写真11 4両目の看板から先は立ち入り禁止, 2009
さて、いよいよ乗車して出発である(動画参照)。次の写真12から写真14までは、コロン駅到着ものである(写真12を見ても分かるように、プラットホーム範囲超え停車)。

写真12 コロン駅に到着した車両(プッシュフル式ディーゼル機関車先頭), 2009

写真13 コロン駅での展望車を含む中間車両, 2009
コロン駅は駅舎としてはお粗末な感じを受けたが、この運河鉄道は、パナマ・シティーとコロン駅の2つしかなく、出発したらノンストップでコロン駅まで向かうものであり、所要時間は約1時間であった。

写真14 プッシュフル式ディーゼル機関車後方, 2009

写真15 大型コンテナを収める荷物貨車の長編成, 2009
2).貨物用機関車
写真15は、大型コンテナを収める荷物貨車であり、パナマ・シティー駅からの撮影である。ものすごい長大編成であることに圧倒した。さらに、写真16は、写真4で示したパナマ・シティー駅近郊にあった別タイプのディーゼル機関車である。実際、近場で見て、先の旅客用機関車よりもサイズが大きい感じがした(正確な寸法は知らない)。これらは、おそらく、重連も考慮した形で、船舶にあった大量のコンテナを迅速に運送するタイプであると想像した。いずれにせよ、統一された綺麗な塗装であり、見た目もいい感じであった(とても途上国とは思えない光景であった)。

写真16 別タイプの貨物用ディーゼル機関車, 2009
https://latin-america.jp/archives/67286
[1] このことは、エクアドルと同様であり、一般的に、両国ともに使える紙幣は20米ドルまでである。
[2] 筆者は青年海外協力隊員(1992年-95年)としての任国もパナマであるが(活動内容は割愛)、この時期からコロン県コロン市の渡航は禁止されていた。しかしながら、コロン駅からパナマ運河ガトゥン閘門およびポルトベロの観光は許可され、2009年3月のシニア海外協力隊時代にそれが達成できたのである。
[3] パナマ運河第三閘門:2016年6月26日に、大西洋側にアグア・クララ閘門、太平洋側にココリ閘門が開通し、より大型の船舶の通行が可能となった(前記エッセイを参照)
[4] 2009年当時、Canonのビデオカメラを使用したが、この当時は小型のカセットテープによる録画であり、画質は良好であったが(ビデオデッキを通じてTVで視聴可だった)、パソコンでの視聴のためには、同ビデオカメラからSDカードにコピーする操作が必要で、若干画質が劣ってしまったのが残念である。パナマ運河鉄道の動画もそういう動画であることをご理解願いたい(you tubeを見ればわかる)。
[5] クレイトン:正式名称はFort Clayton(クレイトン基地)であり、米陸軍の基地として長く使用されたエリアである。そのため、米軍家族の住宅・学校・付帯施設が集中していた。
返還後は、『Ciudad del Saber(シウダー・デル・サベール:知識都市)』として再開発され、国際機関(UNDP等)、研究所、大学機関、NGO等が入居するエリアに生まれ変わった。場所的には、パナマ市西側にある旧運河地帯の主要エリアの一つである。
[6] この写真は、前記エッセイ『パナマ運河と私たちの暮らしとの関係性』の写真9に当たる部分であるが、同エッセイではアップ上のミスで写真欠如になっていたので、ここであらためて添付する。なお、同エッセイでは、撮影日は2009年となっていたが、これは筆者の誤りで2002年当時のものであった。
[7] 船舶が水中に沈んでいる深さを『喫水(きっすい)』と称し、荷物が多いほど船舶は重くなり、喫水も深くなる。そこで、荷物を下して船体を軽くすれば、喫水の深さを短くなり、閘門での節水に貢献する。これが喫水制限であり、喫水を1フィート(30.48cm)短くするには、コンテナを300~350個下(おろ)す必要があるといわれている。
[8] 展望デッキ:鉄道の世界では、英語で “open-air observation deck / open platform / observation veranda” と呼ばれるタイプがある。そして、パナマ運河鉄道の客車車両には、米国の鉄道文化の延長線上にあり、展望デッキ(open platform)を持つ車両がある。なぜならば、米国では、大陸横断鉄道の黎明期から、自然景観を楽しむための展望デッキ が存在しおり、特に、ロッキー山脈、カリフォルニア~ネバダの渓谷地域の景観を楽しむというものである。現在でも、アラスカ鉄道やグランドキャニオン鉄道等の観光鉄道で、展望車両が普通に使われているということである(ChatGPTの見解で、詳細は割愛)。
[9] 全米鉄道旅客公社(National Railroad Passenger Corporation)のことで、通称アムトラックと称する(詳細は【参考文献】ににて)。
[10] 英語のI(私)はスペイン語で(Yo)であるが、一般的に、エクアドル人は『ヨ』、パナマ人は『ジョ』と発音していた。両者とも発音の仕方は正解であり、一つの習慣的な違いである。だから、『ヨ』でも『ジョ』でも、一つの方言の違いであるとして、他のラテン諸国でも通じるのである。筆者は『ジョ』と発音していた。