連載エッセイ512:大町佳代「日本における出産のヒューマニゼーション ~中南米との比較等~」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ512:大町佳代「日本における出産のヒューマニゼーション ~中南米との比較等~」


連載エッセイ512

日本における出産のヒューマニゼーション」その5
~中南米との比較等~

>執筆者:大町佳代(JICAドミニカ共和国事務所,企画調査員)

日本の妊産婦死亡率が年々減少し、安全に出産ができる国である理由として、医療機関での出産が大半となると同時に、医療技術の発達や定期健診の質の向上と共に安全に分娩管理ができるようになった事が挙げられる。一方で、その背後には妊産婦死亡の原因別で自殺が最多となっている等、多くの問題が隠れている。「幸せなお産」とはどのようなものなのか。今回のエッセイを通して、筆者自身が助産所で出産した経験を回顧しつつ、日本の出産のヒューマニゼーションについて考えたい。

日本の妊産婦死亡率の背後にある課題

妊産婦死亡率の低さは世界でもトップクラスの日本だが、その背後に潜めている課題は複雑である。特に気になるのが、一般社団法人「いのち支える自殺対策推進センター」と日本産婦人科医会が、警察庁の自殺統計を基に妊産婦死亡の原因別で自殺が最多となっている事を報告している事実だ。更に、数字に出ていないだけで、未だ多くのケースが隠れているだろうと想定されている。日本の現代社会において、妊娠、出産、子育ての切れ目のない支援を、多種多様な職種が連携してサポート体制を築き、包括的なケアを行う事ができるよう、強化していく必要性を問われている。

妊産婦とその家族へのサポートの1つとして重要なのが地域の助産所の存在だ。助産所は妊娠、出産、育児まで、地域の妊産婦をサポートする為の多岐に渡る継続したケアを提供している。助産所で分娩しなくとも、地域の窓口として産前から妊婦の相談にのったり、産後ケアサポート等も行っており、妊産婦や育児中のお母さんたちが孤立しないように、地域の身近な拠り所として重要な役割を果たしている。厚生労働省が発表している2021年の人口動態統計によると、助産所で出生した赤ちゃんの割合は全体の0.5%となっており、5年前の0.6%よりさらに減少している。一方で、日本社会における女性と子どもに纏わる複雑な問題や、家族の孤立化が進んでいる状況を顧みると、地域コミュニティの中で妊娠から産後、そして育児まで、女性とその家族に寄り添ってくれる助産院の存在は、今後更に重要になってくるように思う。

自分らしいお産

ここで少し私自身が経験したお産について記したい。私は、初めての妊娠が分かった当初、巷で人気な、クリニックに通っていた。病院の売りは、施設の壮麗さと最新の設備に加え、入院中の食事が豪華である事。知人も同クリニックで出産する人たちが多くいた事から、なんとなくの流れで通い始めたが、初めての妊娠で、自身の身体が日々変わっていく中で、不安や疑問が増えていく。一方で、産前健診時に質問を担当医に投げかける事ができる時間は限られており、不安は募るばかりだった。少しお腹に違和感があるだけで、赤ちゃんは大丈夫だろうか?と心配になり、その度にクリニックに駆け込み、エコーで赤ちゃんの無事を確認し安堵する日々を送っていた。そう、当時通っていたクリニックは、私にとって「検査にいく場所」であり、赤ちゃんの無事を確認し、「私」自身が安心する為の場所だったのだ。

その後、ご縁があり、同じ県内で開設60年余りの歴史がある毛利助産所に転院した。所長の毛利多恵子先生は、なんと1996〜2000年にブラジルで実施されたJICAの技術協力「家族計画母子保健プロジェクト(通称「光のプロジェクト」)の専門家でもあった。同プロジェクトはJICAの中で初めて「出生」と「助産」に中心を置いたプロジェクトであり、不必要な医療介入を減少させ、科学的根拠に基づいた助産ケアを通して「出産のヒューマニゼーション」を目指す取り組みを推進した。同プロジェクト以降、現在までに8カ国で同様のJICAプロジェクトが実施されてきている。

助産所での健診では1時間ほどじっくり、多恵子先生やその他スタッフの先生たちと話をする。「ここ、赤ちゃんのお尻ですよ」お腹の中にいる赤ちゃんが今どのような向きでいるのか等も手で教えてくれた。お腹に手でふれると、どこが頭でお尻なのかが瞬時にわかるそうだ。何か特別な事をする訳ではなく、最新の設備で赤ちゃんを確認する訳でもない。ただ、何気ないお喋りの中で健診をし、どんなに些細な事でも耳を傾けて聴いてくださった。多恵子先生、私、そしてお腹の中にいる赤ちゃんの間には「対話」があり、私と赤ちゃんの事をとても大切にして下さり、これから初めてお母さんになろうとする私に寄り添い、支えてくれた。

クリニックに通っていた時、お腹の中にいる赤ちゃんが元気であるかどうか、という事ばかりに気がいってしまっていたが、毛利助産所に通い始めた事で、自身の身体にも気持ちを向ける事ができるようになった。生活習慣や食習慣を改める事で女性としての自分の身体、心にも目を向ける事ができるようになり、冷たかった足首や腰が少しずつ温かくなり、身体がみるみる変化していった。何をどうしたら良いのか分からなかった私と一緒にお母さんになる為のプロセスを支えてくださったのだと感じている。

私の中にある「産む力」と、赤ちゃんの「生まれる力」を最大限に引き出し、幸せなお産の経験をさせていただく事ができたのは、多恵子先生、そしてその他スタッフの皆様のサポートがあってこそだろう。母と妹の付き添いのもと、陣痛が始まって3時間程で生まれてきた赤ちゃん。内側から外側に赤ちゃんを押し出すような、子宮のものすごいエネルギーの波を何度か経験した後、するりと赤ちゃんの身体が私の身体から出ていくのを全身で感じた。言葉では言い表す事ができない、今この瞬間への深い感謝の気持ち、そして今ここにある「いのち」を信じる事の大切さ。多恵子先生は私に、「生まれ方は生き方。私は赤ちゃんを受け止めただけで何もしていないですよ。赤ちゃんが自分の意志で、自分の力で生まれてきたのよ。」と囁いてくれた事を今でも記憶している。

仕事柄、現在海外に在住しているが、帰国する毎に娘と一緒に多恵子先生に会いにいく。娘と一緒に、娘が生まれた時の部屋を見ながら、多恵子先生やスタッフの皆さんと出産時の話をする事ができるのは何にも代えがたい幸せな時間である。

ここで、妊娠中に毛利助産所のスタッフの先生が読んでくれた詩を記したい。臨月だった私がこの詩を知った時、陣痛のイメージが瞬時に変わった事を記憶している。女性の身体が持つ神秘な力と、そこに育まれる「いのち」の豊かさーそれは出産に限らず、何物にも代えがたい素晴らしい経験なのである。

——————————————————————————–

「子宮の詩」

私は子宮です。

私の唯一の働きは収縮です。

収縮はエネルギーです。

今、私は妊娠して赤ちゃんを抱えています。

きれいな羊水をいっぱいに満たし、その中に赤ちゃんを浮かべて育てています。

時々はかわいくてたまらず、優しく収縮して抱きしめてしまいます。

しかし、やがて赤ちゃんとの悲しい別れがきます。

お産の時がくると、私は赤ちゃんをこの世に送り出すために収縮して子宮口を開きます。

そしていよいよ赤ちゃんが生まれるときには、収縮するたびに赤ちゃんの胸を圧迫して呼吸運動を整えます。

私の不満は、私の主人であるあなたが、私に『陣痛』という名前をつけて嫌な目で見ていることです。

私は何もあなたをくるしめるわけではありません。

むしろ私と一緒になって赤ちゃんの誕生に力を貸してください。

いえ、そんなに難しいことではありません。

私が力いっぱい収縮したら、『あら、ご苦労さま。お願いね。』と言って心と身体をリラックスしてくれれば、それで十分です。

そしてゆっくり息を吐いたり、動きたいように動いてみてください。

それだけ私の仕事ははかどります。

まあ、妊娠中も時々は私に会いに来てください。

そして私が抱いている赤ちゃんに会ってくださいね。

私たちはよい仲間なのですから、さわったり、なでたりしていただくと私は本当にうれしいのです。

それではお産のときにまた会いましょう。

さようなら

九島璋二先生著【安心できる はじめての妊娠と出産】から引用
——————————————————————————-

お産は「こころ」

これからのお産について多恵子先生に伺ったところ、お産は「こころ」。お母さんになる女性にとっては大事なステップであり、本来、自然の営みのプロセス。自然なお産の醍醐味を知っていく事で、お母さん自身のマインドが変わっていく。そして何より、お母さん自身が子どもを産んだ事を幸せと思えるかどうかが一番大切になってくるのだ。お母さんのマインドが変わると母子関係が変わり、必ず社会が変わってくると力強く微笑みながら語られた。

ブラジルで実施された「光のプロジェクト」での経験では、人種や文化が違っても、お産に関する根っこの部分は同じだと改めて実感したという。ブラジルでは、出産のヒューマニゼーションを進めた事で、まず医療従事者自身が変わっていった。自然性、女性の崇高さ、そして自分の在り方等を理解した上で、本当に妊婦さんが陣痛で苦しんでいる時に必要なケアをした時に、初めて医療者として信用された感動の経験が確固となる土台を築きあげた。医療従事者の中には、妊婦さんへのケアを通して自身がもっていたトラウマな出産経験が癒されていく事も起こったのだという。多恵子先生は、「出産のヒューマニゼーションって、本来の幸せな事が起こる為のケアをするので、その立場にいると伝わってくるのよ。母親の顔が違う。赤ちゃんも穏やか。お母さんも子どもも傷ついていない。それを医療従事者自身がいいと思える事で、双方がエンパワーメントされるの。」と目を閉じ、一言一言とても大切にしながら語って下さった。出産のヒューマニゼーションの素晴らしさについて医療従事者自身が納得する事ができたからこそ、プロジェクト終了から20年以上経った今でも、その知見が引き継がれており、今後もその知見は世界に広がっていくだろう。

今の日本の現状を見ていると育児放棄、虐待、自殺、思春期の問題等、課題が多岐に渡っている。命を懸けて産んだ後、社会の中で当たり前のように完璧な母親になる事を求められる一方で、日本では電車で赤ちゃんが泣いていると睨まれたり、無視されたりといった厳しい現状も目にする。1人でも多くのお母さんが幸せなお産を経験する事が、今後の日本社会が変わっていくきっかけになるのではないだろうか。

女性としての権利

話は少し遡るが、2018年2月、妊娠初期だった私は、アフリカ大陸にあるアンゴラ共和国という世界でも妊産婦死亡率が高い状況である国に仕事で2ヶ月程出張していた。当時、母子保健の案件に携わっていた事から、プロジェクトサイトの第一次医療施設にモニタリングに行く事が多々あったが、お腹の中に赤ちゃんがいる状態でのアンゴラ共和国の保健センターは、自分の目に、以前とは全く事なって映った。暑い中で額に汗を滲ませながら椅子に寄りかかり、産前健診の順番を待っている妊婦さんの凄まじい列。血を垂らしながら、おぼつかない足どりで診察室に1人で歩いていく妊婦さん。あるお母さんは、出産時の出血を止める為に綿を膣の中に入れられた状態で放置されてたまま数日が過ぎており、その処置の為にセンターにきているお母さんもいた。

これまで幾度となく見てきた状況だったが、自分自身が実際に妊婦になって現場に立つと、これまで感じていたものとは全く異なる感情が自分の中に沸き立った。同じ女性として、本当に彼女たちの立場に立って考える事ができていなかった自分に愕然となった。そこにいる妊婦さんたちは、生まれた国や環境が異なるだけで、私と同年代の女性たち。彼女たちの中には、自身が女性としてどのような権利を持っているのか自体を知らない人もいる。「なんて不条理な世の中なんだろう」と何度も胸がギュッとなったのを記憶している。

現在私が赴任しているドミニカ共和国でも、出産を取り巻く環境には深刻な課題が存在している。妊産婦死亡率・新生児死亡率はラテンアメリカ地域の平均を上回り、帝王切開率は世界でもトップクラス。私立病院では90%、公立病院でも47%が帝王切開であり、過剰な医療介入による術後感染や産科暴力の報告も後を絶たない(MISPAS 2023)。[1]こうした状況を受け、JICAとドミニカ共和国経済企画開発省(現財務企画省)との間で2024年に開始した政策対話型の技術協力「持続可能な社会経済開発政策策定及び実施能力強化」において、政策面からの変革を目指すこととした。ブラジルのソフィア・フェルドマン病院の専門家や、モザンビークでヒューマニゼーション政策を推進してきたルーシー伊藤専門家らと連携し、現地調査や講演活動を通じて、出産のヒューマニゼーションの重要性を広く発信している。[2] さらに保健省では、2013年に発行された「国家医療品質政策(Política Nacional de Calidad en Salud)」の改訂を視野に入れ、ヒューマニゼーションケアの視点を政策に反映させる必要性が議論されている。現時点ではJICAに対する正式な技術支援の要請は出ていないものの、関係者の間ではJICAの知見と経験に対する期待の声が高まっている。

こうした取り組みは、教育分野にも広がりを見せている。2025年8月、UNFPA(国連人口基金)の協力のもと、サントドミンゴ自治大学(UASD)の看護教育カリキュラムに「出産のヒューマニゼーション」の概念が正式に組み込まれることとなった。これは、次世代の医療従事者が、出産を単なる医療行為ではなく、女性の尊厳と選択を尊重する営みとして理解し、実践していくための大きな一歩である。これらのドミニカ共和国での動きは、保健省、大学、市民社会団体、JICA、UNFPA、その他国際機関など、多様なアクターが連携しながら進めているものであり、意識の高い保健医療従事者が育成され、母子保健指標は改善傾向にある。一方で、若年妊娠の多さや産科暴力の根絶といった課題は依然として深刻であり、ジェンダー課題に対する包括的な取り組みとして、引き続き社会全体の行動変容を促していく必要がある。

妊娠中に毛利助産所でも、妊婦さんや産後ケアで来られているお母さんたちとの出会いがたくさんあった。中でも印象に残っているのが、1人目を出産後、産後入院中に赤ちゃんの体重を測ろうとした際、「ミルクを飲ませる前に測らなきゃ意味がないのよ!」と看護婦さんに厳しく怒鳴られた事がトラウマになってしまい、そこから2人目の出産を考える事ができずにいたとの事。他にも、1人目を出産した時のモノのような扱われ方がトラウマとなり、2人目の出産を考える事が出来ずにいた方にもお会いした。その方は1人目の時の出産時の経験を涙ながらに語られ、自身の体験を話す事で癒されているようにも見えた。

国は違っても、根っこにある女性の基本的な欲求は同じである。医療的な事が分からなくても、モノのように扱われたり、知りたかったのに誰も教えてくれなかったり、基本的な安全性、信頼関係がない状況で陣痛や手術の痛みを受けると、トラウマになってしまう事がある。女性がトラウマを持ち始めると、子どもに大きく影響する。社会の中で女性が大切にされて、自身の価値観を理解する事はとても大切な事のように思う。一方で、国の状況によっては、特に貧困な状況にあると、自分を大切にする事自体難しい状況におかれてしまう現実がある事からは、目を逸らしてはいけない。

最後に

私は娘を出産した時の事を思い出す事が大好きである。というと、不思議に思われるかもしれない。

現在、2人の娘(6歳と2歳)を育てながら働いているが、育児と仕事の両立というのはそもそも不可能である事を改めて実感している。自分のキャリアを優先して娘たちの成長を見逃してしまっているのではないかと罪悪感と寂しさを抱き、限られた時間の中で反省ばかりの育児を目の前に、途方に暮れてしまう日々もある。「あの時、学校に遅れてでも抱っこしてあげれば良かった」、「眠たくないなら、一緒に映画みながらポップコーンを食べ、夜更かしすればよかった」、「靴や服が汚れてもいいから、雨でできた水たまりに、ペッパピッグのペッパのように一緒に入って遊べばよかった」等、毎晩いろんな気持ちが頭をよぎる。たくさん道草をしながら、育児書に記されているような優しくて余裕がある理想的なお母さんでいたいのに、現実はそう甘くはない。でもそんな時、いつも私を支えてくれるのは、紛れもなく出産の時の記憶なのだ。あの感謝に包まれた幸せなお産が、出産後も私の人生観に大きく影響し、育児中の今も私を強く支えてくれている。何より、娘たちの存在が、全てを肯定してくれるのだ。

「幸せなお産」。ふわふわとした言葉ではあるが、この言葉の中に出産のヒューマニゼーションの真髄があると思う。自然分娩だから幸せなお産という事ではなく、帝王切開であっても、病院でのお産であっても、それがポジティブで、お母さん自身が納得のいくもので、幸せなお産であれば、それは必ず今後の力になっていく。1人でも多くのお母さんが幸せなお産を経験する事で、世界が幸せなものとなっていく事を願いながら、いつか、この記事を読んでくれるかもしれない娘たちに思いを馳せ、これからも彼女たちの成長に寄り添っていきたい。

最後に、このような執筆の機会を与えて下さった関係者の皆様に心より感謝申し上げたい。

「毛利助産所で妹の誕生を見守った子どもが描いた、新しい命を迎えた日の記憶」

参考文献

・久野佐智子(2024)「ラテンアメリカにおける出産のヒューマニゼーション,その1コスタリカ編」,連載エッセイ368,一般社団法人ラテンアメリカ協会.
https://latin-america.jp/archives/62862

・久野佐智子(2024)「ラテンアメリカにおける出産のヒューマニゼーション,その2エルサルバドル編」,連載エッセイ368,一般社団法人ラテンアメリカ協会.
https://latin-america.jp/archives/64112

・久野佐智子(2024)「ラテンアメリカにおける出産のヒューマニゼーション,その3グアテマラ編」,連載エッセイ368,一般社団法人ラテンアメリカ協会.
https://latin-america.jp/archives/64535

・大町佳代・久野佐智子(2025)「ラテンアメリカにおける出産のヒューマニゼーション,その4ブラジル編」,連載エッセイ368,一般社団法人ラテンアメリカ協会.
https://latin-america.jp/archives/65735

[1] Plan Estratégico Nacional de Salud 2030

[2] 各種資料 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会