執筆者:冨田 健太郎(信州大学 工学部内 アクア・リジェネレーション機構)
ラテンアメリカ諸国での長年の農業協力活動の中で、筆者は「食卓からその国の農と文化が見える」ことを、幾度となく実感してきた。日本ではメキシコのタコスやブラジルのシュラスコが知られているが、実際の現地の家庭や食堂で提供される日常の料理(以下、大衆料理と記す)は、主にその地域で栽培できる作物と色濃く反映されたもので、日本人にはあまり馴染みのないメニューばかりであると考えている。
実際、ラテンアメリカ諸国の大衆料理は、地域の農業条件と密接に結びついている。メキシコやグァテマラでは、マヤ文明以来のトウモロコシ文化がトルティージャやタコスに受け継がれている。コスタリカやパナマでは、酸性土壌に適応したコメやマメ類が主食となり、マメご飯として定着している。アンデス高地ではジャガイモが伝統的主食だが、近年はコメへの移行も見られる。パラグアイ西部では劣悪土壌でも栽培可能なキャッサバ、あるいはアルゼンチンの影響によるパン(コムギ)が食卓を支えている。
このように、主食作物の選択はその土地の特性や農業環境に規定され、同時に隣国の影響や歴史的背景も反映されている。また、肉料理と牧畜生産は、イネ科・マメ科牧草の導入によって成立し、地域の食文化に欠かせない要素となっている。大衆料理を通して、各国の農業生態と文化的多様性を理解することができる。
JICAの青年海外協力隊員や農業専門家等として現地に長期滞在する場合、「現地と同じものを食べる」ことは、単なる生活適応以上に、住民との信頼形成の大きな手段になる。未知の料理に食する形で挑戦することは、言葉以上にその国を理解する近道でもあるといえる。
筆者は、1992年8月にパナマに青年海外協力隊員(職種:土壌肥料学)として赴任(95年8月まで、延長期間も含めて3年1ヶ月活動した)して以来、ラテンアメリカに関心を持つようになり、長年、国際農業協力に従事してきた。本来の研究協力以外に、パナマおよびエクアドル赴任中の任国外旅行制度、ラテンアメリカ国際土壌学会参加・発表等を含めると、訪問国は、メキシコ・グァテマラ・ホンジュラス・コスタリカ・パナマ・コロンビア・エクアドル・ペルー・ブラジルおよびパラグアイとなる。実際、筆者はそれなりにスペイン語を習得しているので[1]、基本的に、活動に当たっての不自由さはなかった。
さて、各国訪問・活動の中で、絶対必要不可欠な事項は食事である。本稿では、ラテンアメリカの名物料理(例:メキシコのタコスやブラジルのシュラスコ等)の他、庶民が食する一般的な大衆料理に注目した形で、ラテンアメリカ諸国における共通性や相違性をまとめてみたいと思う。基本的には、彼らの食卓の中にある必須食品は、フリホール(和名:ササゲ) (Vigna unguiculata)[2]、ポロト (和名:うずらマメ)(Phaseolus vulgaris L.)およびレンズマメ (Lens culinaris)のようなマメ類のスープ(『おしるこ』を連想するとよい)、肉類や鶏卵(目玉焼き)の他、魚類の場合はその揚げ物(米国と違って、大半のラテンアメリカ諸国では、日本食レストランを除いて、一般大衆レストランでは刺身を出さないし、彼らはそれを食しない)[3]および少量の生野菜類であり、これらは主菜である。筆者の知る範囲内とさせてもらうが、これはラテンアメリカ諸国の一般大衆料理の共通事項であるといえよう。
本稿では、主に大衆料理の相違性に注目し、特に、主食(デンプン)の他、前記マメ類(主菜の一つ)についても少々扱うこととする。この相違性を掘り下げることによって、広大なラテンアメリカ諸国の地勢別も含めた農耕・食文化の違いが浮き彫りになってくると考えたからであり、その違いが筆者なりに見えてきたのである。なお、全ての大衆料理を報じることは不可なので、ホンジュラスを除いた形での代表的な料理を紹介する[4]。
日本でもメキシコレストランが多数存在するが、筆者がよく訪問していたのが、千代田線の明治神宮駅前にある『タコス・デル・アミーゴ』である。硬質トウモロコシの粉を引いてパンにしたものをトルティージャと称するが、ここに、フリホールや肉類や野菜類などの具を包んで食べる料理がタコス🌮である。このタコスには、いろいろな種類があるが、ここでは紙面の都合により割愛する。写真1は、長野県白馬村のメキシコレストランで撮影したタコスである。
筆者は、1992年7~8月、前記パナマ赴任前の現地スペイン語訓練で、中米グァテマラのアンティグア市に6週間居住していた[5]。そのときの下宿先の食事も、前記トルティージャがメインであり、この国で、ラテンアメリカの一般食であるフリホールを初めて食したものであった[6]。

写真1 メキシコ料理の一つであるタコス(長野県白馬のメキシコレストランにて), 2022
メキシコはメキシコ文明(テオティアカン文明・サポテカ文明・トルテカ文明・アステカ帝国)やマヤ文明(同国ユカタン半島を中心したした後古典期マヤ文明)、中米グァテマラやホンジュラスは古典期マヤ文明の発祥地であり、トウモロコシを主食としていた。そして、その文化的風習の影響であると考えているが、特に、グァテマラ生活の中で、マヤ民族の末裔が存在していることも事実である。それゆえ、トウモロコシ(トルティージャ)を主食した文化が根付いているものと解釈した。
結論から記して、コスタリカやパナマの主食はご飯(インディカ種)であった。この場合、日本のジャポニカ種と異なり、粘りの他、カロリーも少ない感じで、大量に食することができた。それゆえ、カロリーを高めるためであると思っているが、炊飯器には少量の油と塩を入れて炊くのが通例である。それゆえ、油こってりご飯なのである。
もちろん、トウモロコシも存在するが、パナマのトルティージャは、トウモロコシの粉を油で揚げた揚げパンのようなもので、メキシコやグァテマラのものは存在しなかった。
一般論であるが、コスタリカやパナマでは、主に陸稲栽培が実施されているが(稲作面積の95%以上)、その主たる要因は、赤色酸性土壌(赤色の主要因は酸化鉄)が広範囲に分布しており、水田状態にすれば、酸化鉄の異常還元によって、イネ生理病ブロンジングが発生することが危惧されているからである。他方、コスタリカでも、ニカラグアの国境県であるグアナカステ県では、肥沃な水田適応土壌が存在するので、水路を設けた状態での水田稲作が実施されている[7]。実際、このような土壌条件では、トウモロコシよりもイネの適応力が強いのである。
写真2にコスタリカにおける4つのバラエティーな大衆食堂を示す。これは、前記したラテンアメリカ国際土壌学会に参加する前に、時差ボケの調整・発表練習等の時間を考慮して、アラフエラ市に4日間余分に滞在したときの朝食や夕食の写真である。
大衆食堂にて、一食3米ドル程度で食することができた。実際、ご飯(インディカ米)+マメ類+肉+料理用バナナ(以下、プランティンと記す)+少量の生野菜といったものであり、ほぼラテンアメリカ全土において共通事項である。

写真2 コスタリカの大衆食堂, 2009
ここで一つ疑問がある。糖質、タンパク質および脂質は十分に摂取できるであろうが、少量の生野菜では、十分なビタミン群(主に魚介類や動物性食品に含有される、造血因子となるビタミンB12は別)やミネラルが摂取できているのか?ということである。このことは、かつて栄養士関係の青年海外協力隊員らにとっても一つの疑問・話題となり、多くのディスカッションが行われたことは耳にしている[8]。しかしながら、筆者の知る範囲内で恐縮するが、地方種族の中で、母親が子供にきちんと食事を与えていないというケースは別にして、実際の現地食で栄養失調問題が生じるという話は耳にしていない。この問題解決の一つが、写真2(下の左)にも示しているように、そこに自生する熱帯の果樹(マンゴー、パッションフルーツ、オレンジ等)のジュースも一緒に出される。ここに、必要なミネラルやビタミン群が存在すれば、健康を維持することができると考えている。それに、プランティンも重要であり、ここからも十分なビタミン群やミネラルも補給されると考えていいだろう[9]。

写真3 パナマの大衆食堂, 2007
写真3にパナマの大衆食堂であるが、コスタリカと同様、インディカ米でのご飯、肉およびサラダである。この他、同写真にはないが、パタコンと称するプランティンのフライがある。そして、先のメキシコやコスタリカと同様、ラテンアメリカの大衆料理における典型的な共通事項は、写真3の上部のポロト(大粒)、同写真の下部のフリホール(小粒)が出ることである。この場合、後者の小粒の方が、タンパク質が豊富であるため、筆者はフリホールを選んで食していた[10]。
また、パナマは、熱帯の国なので、金属のコップを使った形で水道水が無料で提供されるのも有り難かった。本当に水はがぶのみであった。実際、一皿の値段であるが、青年海外協力隊時代はUS$1、2007年のシニア協力隊時代はUS$1.25であったことを思い出す。
さらに、写真4(左)に示すように、キャッサバのスープ(サンコーチョ)があり、ご飯とスープがセットで出てくる場合がある。このように、熱帯アメリカ諸国ではキャッサバも重要なイモ類(塊茎作物)ならびにデンプン源であり、典型的なレシピである。
この他、キャッサバを湯がいてつぶし、味付けした具を包んで揚げたパンとして、カリマニョーラス(同写真の右)があり、パナマの食品店やスーパーマーケットで広く売られている。他方、インターネットで調べてみると、このカリマニューラスは、パナマの他、コロンビアでも常食とされているようである。

写真4 サンコーチョ(左)およびカリマニョーラス(右), 2007
2001年に初めてコロンビアの首都ボゴタ市に赴任したが、基本はコスタリカやパナマと同様、コメを主食とする料理であった。しかし、あるレストランでの昼食においては、ご飯が通常の量より半分強であり、残り半分がジャガイモで代用しているケースも見受けられた(写真6の左で示すエクアドルの料理において、プランティンの代わりに、ご飯があったと想像してもらえるといい)。これは、アンデス地域の主食としての地位が維持されているものと考えた。しかし、基本は、主食の座がジャガイモからコメに変わってきていると感じたものであった。
写真5にエクアドルのアンデス地域での大衆料理を示すが、パナマとの違いは、ポロトの他、レンズマメが主流であり、両者の内、どちらかが選択できた。同写真右はシチューのようなスープである。実際、ポロトよりもレンズマメのタンパク含有量が高いことを知っていたため、筆者はレンズマメを選んで食したものであった。写真6の左は魚のフライとプランティン、右は、コスタリカやパナマと違って、小エビ(セビッチェ)がついてくることが多く、こうなると、肉類の他にも、ビタミンB12や、海産物ならではの良質なω3不飽和脂肪酸も補給されると考えたものであった。

写真5 エクアドルのピチンチャ県キト市の大衆食堂, 2014

写真6 エクアドルのインバブーラ県イバラ市の大衆食堂, 2014
写真7はアンデス特有の料理を紹介する。実際、トウモロコシやジャガイモを使った伝統料理が多かった。写真7左は、ジャガイモの他、揚げたプランティンも主食としての役割を担っているのであろう。その下にトウモロコシの大粒があり、これは直に食することができた(あられのような食感であった)。当初、初回エクアドル出発前日[11]、山手線の五反田駅近くにあったペルーレストランへ足を運んだことがあったが、ここでも、この特有のトウモロコシ(粒が大きい)が出され、その存在を初めて知った。つまり、エクアドルでも食することができたということである。

写真7 アンデス特有の料理,(左:ペルー, 2014/右:エクアドル, 2018)
他方、同写真の右は、ある揚げパンの中には、ひき肉が入ったものであり、ご飯の代わりに、主食としてはジャガイモ、先の大粒のトウモロコシも下部にあることが分かる。白はチーズであり、興味深いものとして、左側に黄色の生食用のゆでたトウモロコシも出たことである。わが国でいうスィートコーンのようなものであるが、甘みは有さなかった。

写真8 写真7右の料理の中のトウモロコシとジャガイモのピックアップ, 2014
ちなみに、写真8には、写真7右の料理において、茹でた状態のトウモロコシ(飼料用の硬質タイプとは明らかに異なる)とジャガイモ(小型)をピックアップしたものをそれぞれ示す。なお、写真7右と写真8は、エクアドル赴任直後、土日を利用して、観光名所の一つである『赤道記念碑[12]』訪問前の朝食である。
写真9は、早朝に訪問した赤道記念碑(左)およびラテンアメリカ諸国には存在する焼き飯(チャーハン)(右)である。中華料理の焼き飯とは違った味であるが、筆者はこのタイプの料理は好みである。中華料理の場合、鶏卵が入った状態が常と思うが、そういうタイプではなく、トマトとライムのスライスが2つのっかったシンプルなものであった(赤道訪問後の昼食)。

写真9 赤道記念碑および赤道訪問後の昼食(焼き飯タイプ), 2014
前記したように、ラテンアメリカの大衆食堂には、果物類のジュースが付くことが必須であるが、これはモラ(ベリー)のジュースである。実際、同国赴任によって知ることができた。酸味と甘みの調和がとれており、好物の一つとなり、エクアドルのレストラン訪問時の飲み物には、このモラをよく選んたものであった。
初回エクアドル赴任中、任国外旅行制度を活用して、2014年11月10日-16日まで、ペルーのクスコを訪問した。この主目的は、クスコで開催されたラテンアメリカ国際土壌学会参加・ポスター発表であり、最後の15日の研修旅行の一つとしてマラス塩田を訪問した。写真10左が前記した大粒のトウモロコシであり、同塩田を赴いたとき、売店で試食用に展示されていたものであった。他方、同写真右が、クスコにある大衆食堂で魚のフライを注文した。この料理にも、先の写真7(右)や写真8(左)で示したように、ゆでたトウモロコシ(甘みのないタイプ)も一緒についてきた。学会参加中、昼飯は、クスコ市内にある幾つかの大衆レストランを利用したが、他の学会参加者もご飯を注文していたので、コロンビアのようなジャガイモを主食としたメニューは存在しなかったのか、目にしなかった。

写真10 ペルーの大粒のトウモロコシおよび大衆料理, 2014
ブラジルの大衆料理も、基本はコスタリカやパナマと変わらず、インディカ米のご飯とパナマでいうポロトのスープ(大粒タイプ)である。これは、ポルトガル語でフェイジョンと称し、日系社会の他、ブラジルを知る日本人(筆者も含む)の中では、『フェイジョンマメ』という言葉が根付いている。
さて、2003年2月-2005年3月までは、全拓連(JATAK)の嘱託研究員として、サンパウロ州グァタパラ日系移住地に赴任した(ビザの関係で、日本一時帰国の期間あり)。ここでの生活は、基本的に日系移住者との共生であったため、ブラジルの大衆料理というよりかは、日本食での生活が大半であった。コメは、品種ササニシキの栽培が、同国南部のリオ・グランデ・ド・スル州(亜熱帯地域)で生産され、商品名『もじみ』が市販され、基本はそれを常食としていた。この他、ブラジル人と異なって[13]、日系社会ではダイズを原料として、豆腐、納豆および味噌等も製造され、このようなダイズ食品も常食とされている。
ブラジル料理には多数のレシピがあるが、その代表格としては、シュラスコであろう。筆者は千代田線の表参道駅近くにあるブラジルレストラン『バルバッコア』を訪問し、家族や親せきを招待する形で、食したものであった。特に評判が良かったのは、焼きパイナップルであり、水分が蒸発した分、糖度が高くなり、美味しいものであった。
写真11は、筆者がJATAK赴任中の2004年8月、家内を一時呼び寄せ、首都ブラジリアをツァーで観光したときの昼飯時のものである。
実際、ブラジルには多くのシュラスコレストランが存在し、主菜としての肉の存在感が非常に大きいとさえ感じたものであった。また、肥育牛は熱帯のセブ―牛であり、コブと角を有するもので、このコブの部分をクッピンと称し、コンビーフのような味がして好きであった。

写真11 ブラジルのシュラスコ, 2004
筆者は赴任・活動した場所は、パラグアイの南西部に位置するニェンブク県の県庁所在地ピラール市の国立大学であり、延長も含めてトータル2年8ヵ月間滞在した[14]。

写真12 パラグアイの大衆レストランでのスープ料理, 2010
写真12にパラグアイのピラール市の大衆料理(スープ類)を示す。左がボリボリ、右が魚のスープであり、後者は、わが国でいうクリームシチューのようなものであった。ここで関心ある事項は主食であるが、左はキャッサバ、右がパンである。
同国任期満了間近、同県ウマイタ地区の遺跡観光[15](写真13の左)のときの昼食時の魚のフライ(同写真の右)はであるが、生野菜の他、ここでも主食としてキャッサバが出された。とにかく、キャッサバを知る日本人はほとんどいないと推測するが、食感としてはジャガイモより硬くて良いが、味がない感じである。そこで、タバスコをかけながら食することが好きであったが、同写真ではレモン汁が出された。なお、昼食時にビールは恐縮するが、暑い時期でもあり、これは観光小旅行ということでご了承願いたい。

写真13 ニェンブク県のウマイタ遺跡(左)と近場での大衆料理(右), 2012
実際、西部のニェンブク県の80%以上は広大な湿原地帯であり、野生動物の宝庫でもある。ピラール市近郊では、パラグアイ人には稲作経験を有さないため、湿原状態で保持されているが、隣県のミシオネス県のサン・イグナシオ市では、パラナ河の水源を利用したブラジル人による大規模水田稲作生産現場を訪問したこと経験がある(写真16の右参照)。
とにかく、ピラール市のスーパー等においては、パナマやコスタリカと異なって、コメ(インディカ種)の市販は1kg単位の小袋でしかなく、同市民にとっては常食ではないと感じたものであった。前記したように、ここではキャッサバやパン(パラグアイの東部地域では、ダイズの裏作として、コムギも栽培されている)である。
また、アルゼンチン訪問経験はないが、ここはヨーロッパから(19世紀末~20世紀初頭にかけて、大量のイタリア系・スペイン系移民がブエノスアイレスを中心に流入)の移民の影響も含めて、コムギの生産が盛んである(自給率は200%以上で、輸入に依存していない)ので、パンが普及しているといえる。このことが、アルゼンチンと国境県であるニェンブク県のピラール市およびその近郊、そしてイタプア県エンカルナシオン市では、アルゼンチンによるパンの普及も行われているようである(筆者の友人の私信)。
ニェンブク県ではお祭り等で『アサード』と称して、肉の塩焼きが出る(写真14の左)。他方、ソーセージはスペイン語で『チョリソ』(同写真の右)と称し、盛大な祝いのときに出されるものである。かつて、ブラジルと同様、アルゼンチンの農牧事情の調査より、これらの料理は、同国の影響を受けているものと考えている。それに、アサードとの組み合わせでもパンが付け合せにされることが多く、筆者もそれを経験している。

写真14 パラグアイ、ニェンブク県でのアサード(左)とチョリソ(右), 2012
他方、パラグアイの東部地域にあるアルト・パラナ県(イグアスの滝を介して、ブラジルのパラナ州と国境を接している)やイタプア県では、ブラジルの影響を大きく受けていると感じたものであった[16]。実際、。そのため、両県においても、シュラスコのレストランが点在しており、これはニェンブク県では見かけることはなかった(日系社会とも関係ない)。

写真15 パラグアイ、イタプア県ピラポでの日本食(トンカツとギョーザ), 2010
さらに、アルト・パラナ県イグアス移住地の他、イタプア県のピラポ移住地[17]での活動経験があるが、ここは典型的な日系社会であるため、日本食が常食となっていた。写真15にピラポ日系農協内にあるレストランでの食事メニューを示す。わが国と違って、新大陸にはどんぶりが存在しないので、このように、大きなお皿の下に、ご飯が隠れた形でのトンカツ(下に日本米のご飯:前記したササニシキで商品名はもみじ)なのである。その他、同時にギョーザも注文した。
メキシコからパラグアイまで、広大なラテンアメリカ諸国においては、大衆料理にある食文化にも大きな違いがあることが認められた。箇条書きにて簡易的にまとめると、
大衆料理における食文化の違いは、その国々での農耕文化に大きく影響するものである。牛肉が主食であるブラジルの放牧光景の他、主要作物であるイネ・コムギ・トウモロコシ・ジャガイモ・キャッサバおよびプランティンに絞って、代表国の栽培光景を写真で紹介しようと思う。
写真16に稲作光景を示すが、パナマでは陸稲栽培試験、パラグアイでは、前記したブラジル人による水田稲作光景を示す。稲作は、低地の高温かつ湿潤地帯で実施される。エクアドルの太平洋側南部地域(例:グアヤス県)等の短期雨季長期乾季地域では、地下水や河川水を用いた灌漑条件下で実施される。

写真16 稲作光景(左:パナマでの陸稲栽培, 2008/右:パラグアイでの水田稲作, 2010)

写真17 トウモロコシ(左:ブラジル, 2004/コムギ(右:パラグアイ, 2010)
写真17にトウモロコシおよびコムギ栽培光景を示す。トウモロコシは多様な品種が存在するため、低地からアンデス高地等適応等、バラエティーに富んでいる。同写真では、サンパウロ州グァタパラ日系移住地での栽培試験の光景を示す。他方、コムギであるが、起源地はイラク周辺のメソポタミア文明発祥地であり、乾燥条件を好むものである。冷涼な環境も必要であることから、パラグアイ南部やアルゼンチン等、亜熱帯地域での栽培が見受けられる。同写真では、イタプア県のラ・パス農協近郊である。写真16と併せて、世界三大作物の栽培光景となり、ラテンアメリカ全体としては、これからも、コメの普及率が進むものと考えている。
写真18にジャガイモの栽培光景を示す。これはアンデス地域が起源地であり、同地域においては主食の座にあったが、前記したように、嗜好がコメに変化してきているといえよう。同写真の左は、エクアドルのアンデス高地インバブーラ県での開花状態、同写真右は、コロンビアの首都ボゴタ市近郊での収穫ジャガイモである。共に、海抜は2500m以上である。

写真18 ジャガイモ栽培光景(左:エクアドル, 2014/右:コロンビア, 2001)
写真19にキャッサバの栽培光景を示す。キャッサバもジャガイモ同様、南米を起源としているが、これはアンデス高地ではなく、熱帯低地を起源としているものであり、パナマ、ブラジル、パラグアイ等、広範な地域で栽培されている。同写真は、パラグアイのニェンブク県ピラール市近郊のイスラ・ウンブ地区の訪問農家での同作物の栄養生長状態ならびに収穫後の地下部(塊茎)の光景である。前記したように、同地域では、主食作物として重要であり、ピラール市での大衆料理の写真12(左)ならびに写真13(右)からも理解できよう。

写真19 キャッサバ栽培光景(パラグアイ、ニェンブク県のイスラ・ウンブ地区, 2010)
世界三大作物やイモ類の他、プランティンも主食作物の代替物として扱われるケースがあり、写真7左で示したアンデス地域の大衆料理からも理解できよう。なお、同作物は熱帯の湿潤低地で栽培されているケースが多く、パナマのカリブ海側では、同作物のプランテーション光景を観察している。また、エクアドルの太平洋側地帯のグアヤス県やサンタ・エレナ県でも、灌漑設備導入によるプランテーションを見受けることがあった。写真20に、グアヤス県グアヤキル市にある配属大学であった(2018-20年)、リトラル工科大学(Escuela Superior Politécnica del Litoral: ESPOL)生命科学部圃場での栽培試験光景を示す。実際、スプリンクラーによる灌漑設備により、移植から収穫まで約8ヵ月であった。

写真20 プランティン栽培光景(エクアドル、グアヤス県グアヤキル市, 2019)

写真21 粗放放牧(左:パナマのベラグアス県カラバシト地区, 2001/右:ブラジル、マット・グロッソ・ド・スル州のカンポ・グランジ市近郊の牧畜農家にて, 2004)
最後が牧畜であるが、写真21にパナマおよびブラジルでの粗放放牧の光景を示す。もちろん、これは農耕ではないが、ブラジルのセラード地帯や放牧可能パンタナール地帯、コロンビアのジャノス東方平原地帯、パラグアイの草原地帯(グランチャコ)等、広大な劣悪土壌草原地帯では、インフラ整備不十分という事態も考慮して、地域によっては、これら主要作物の栽培には適さない。基本的には、主食作物導入・栽培不適地帯では、適切な施肥を含めた形でのイネ科やマメ科改良牧草の導入・栽培を試み、牧草地として粗放放牧を行うことが妥当である。
実際、ラテンアメリカの大衆料理においては、肉類は必須であり、ブラジルは前記したようにシュラスコは重要である。いずれにせよ、私たちにとって、動物性タンパク源ならびに不毛な大地の有効利用という視点からも、主要作物の栽培と同様に、牧畜生産もラテンアメリカの大衆料理としての食卓を支えている。
なお、天然林伐採による牧草地や農耕地拡大は、文明崩壊という形で歴史が証明しているので、国際農業技術協力の一環として、低環境負荷牧畜林生産に関する基礎研究ならびに教育に力を入れていくことは重要であり、これからの課題でもある。
JICAの青年ならびにシニア海外協力隊員等、現地に長期滞在する場合、「現地と同じものを食べる」ことは、サバイバル生活や現地での生活適応力を身に着けるための訓練ではない。実際、現地の大衆料理を通じて、住民との信頼形成の大きな手段になるだけではなく、その料理を通じての農耕における適正技術の模索、栄養士関係であれば、現地適応熱帯果樹類等の栄養評価材料等、知見としての収穫できる要素が多数あると考えているからである。
私たちにとって、未知な料理の領域にこそ、これからの農牧業や栄養改善等の技術協力に大きく貢献していく可能性を秘めているし、言葉以上にその国を理解する近道でもあると考えている。
https://ippin.gnavi.co.jp/article-5646/
https://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2009/may/gravure03.htm
https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/191125_pr92_03.pdf
https://funcity.work/diet/rank/protein/mame
https://latin-america.jp/archives/67392
https://latin-america.jp/archives/67481
https://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2014/dec/wrepo02.htm
[1] 2013年12月に実用スペイン語検定3級合格(スペイン検定協会より英検準1級並み)で、翌年の2014年3月下旬に同級文部科学大臣賞も受賞した。
[2]学名Vigna unguiclataであるが、一般名においては、パナマではFrijol(フリホール)と称しているが、パラグアイではPoroto(ポロト)であった。なお、エクアドルではFrejol(フレホル)であり、学名は万国共通であるのと違って、一般名は任国によって異なるケースがあるということである。
[3] 筆者は食品衛生管理者の資格を有しているので、その立場から記載させていただくと、魚介類においては、ボツリヌス菌等、食中毒の原因となることが多く、わが国の生魚を扱う料亭では、冷凍・冷蔵・調理等においてもリスクを伴うものである。それゆえ、ラテンアメリカの人たちは、自ずと魚介類の生ものは敬遠しており、「日本では、刺身として生魚を食する」と聞くと、びっくり仰天した顔になる。
[4] 2003年3月、農学博士号の学位を取得したが、それ以降のラテンアメリカ諸国での農業技術協力活動において、デジカメで大衆料理の写真を撮るようになった(その前はフィルム)。それ以前のメキシコ・グァテマラは日本のメキシコレストラン、コロンビアでは写真撮影をしていなかったことを付記しておく。
[5] 1995年8月に、パナマ青年海外協力隊員としての任期を全うすることになるが、同時期に赴任した新隊員から、任国赴任前の現地スペイン語訓練は各任国で行うようになった。この背景が、各任国によって、話されるスペイン語が異なるということであった。それ以前は、筆者も含めて、南米派遣組はメキシコ、パナマやドミニカ共和国を含めた中米組はグァテマラでの訓練であった。
[6] 当初、このフリホールのスープを見たとき、一瞬、『おしるこ』と思ったものであった。しかし、甘みがあるわけでなく、当時としては違和感があった。そこで、砂糖を大量に加えて、おしるこもどきというか、甘くして食した経験がある。今思えば、下宿先の家族にしてみれば、不思議な感覚であっただろう。
[7] 2009年11月16日-20日まで、コスタリカで開催されたラテンアメリカ国際土壌学会に参加・パナマ赴任時代(2007-09年:シニア海外協力隊としてコクレ県エル・ココ実験圃場)の成果を口頭ならびにポスター発表を実施した。この学会の研修旅行先として、グアナカステ県の水田稲作地帯を訪問した(詳細は割愛)。
[8] 同様に、筆者が青年海外協力隊員として赴任したパナマに限ったことではないが、地方村民の栄養失調問題も含めて、栄養士や野菜を職種とする隊員らが、任地での野菜栽培に普及する活動を行ったことを知っているが、その大半が失敗に終わっている。その主な要因は、劣悪な土壌環境にあり、基本的には野菜栽培には不適である。そのため、その土壌特性をきちんと理解していないと、効率的な仕事を展開していくことは不可なのである。
[9] 例えば、プランティンはビタミンAやCを、果汁類は葉酸やカリウムなどを補う役割を果たしており、結果的に栄養バランスを保っていると考えられる。
[10] わが国における主なマメ類の可食部100g当たりのタンパク含有量g:ササゲ23.9g、うずらマメ(ポロトの代用とした)6.7g、レンズマメ23.2g(写真5および写真6で触れる)およびダイズ33.8gである。
https://funcity.work/diet/rank/protein/mame
[11] 2014年3月27日、エクアドルのインバブーラ県イバラ市に赴任することが決まっていたので、その前日の26日は、スペイン検定協会より、実用スペイン語検定3級に対する文部科学大臣賞受賞式でもあった。その後、一度帰宅後に、あらためてアンデス料理を知る目的も含めて、ペルーレストランを訪れた。
[12] 赤道記念碑:ミッター・デル・ムンド(Ciudad Mitad del Mundo、Middle of the World City、赤道記念碑)は、エクアドルの首都キトの北約23kmに位置し、北半球と南半球を分ける赤道上に建てられている赤道記念碑のこと(詳細は割愛)。ミッター・デル・ムンド – Wikipedia
[13] ブラジルでは、セラード地帯やアマゾンの森林伐採による農耕地拡大を通じて、ダイズ栽培の拡大が目立っている。しかし、このダイズ生産は、食用油製造が主目的であり、ブラジル人は常食としていない。彼らが常食とするのはフェイジョンマメであり、ダイズはあくまでも輸出農産物なので、遺伝子組み換え品種が採用されていても、彼らに関係ないといえよう。詳細は、本稿から逸れるので、詳細は割愛する。
[14] 筆者は国立ピラール大学農牧地域開発学部において、客員教授に就任した形で、トータル9名の学生卒論指導教官として活躍した。この他、同大学の学長直属部署においてもステビア導入研究、さらには、2011年にJICAから日系財団所管となったパラグアイ農牧研究センター(Centro Tecnológico Agropecuario del Paraguay: CETAPAR)における諸問題解決のため、若手分析技官や技術者らに対する緊急特別協力としての土壌・植物体分析や野外栽培試験に関係する統計学教育等にも従事した。ここは東部のアルト・パラナ県のイグアス日系移住地内にある。つまり、本来の任地西部地域と緊急協力先の東部地域の文化・習慣的違いをそれなりに把握しているのである。
[15] ウマイタ遺跡:詳細は割愛するが、1864年-1870年にかけて、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍とパラグアイ軍による壮絶な戦争があり、その舞台になった所の一つである。
[16] パラグアイはブラジル依存の経済であり、農業関係資材(化学肥料、農薬類、種子類、農業機械類等)はブラジル産が広く普及している。また、2012年当時、自国の農学関係の専門書(スペイン語版)も存在しないため、土壌分析にしても、CETAPARではブラジルのポルトガル語参考書を使用していた(筆者がブラジル時代に購入したものと同じであった)。そこで、CETAPARでの緊急力活動時代に、同国初のスペイン語バージョンの土壌・植物体分析マニュアルを作成し、配属大学学長室直属のスタッフの協力により全国出版を果たすことができた。
[17] 2004年10月、JATAK赴任中、パラグアイ出張時に、CETAPARピラポ日系移住地の土壌調査等も実施した。